転がる五円玉 ~旅と城と山~

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津山城 ~平山城の全てが詰まった石垣の名城~

津山城は岡山県津山市にある城である。

歴史

津山は古来より美作国の中心として栄えていた。鎌倉~戦国時代にかけては常に領主が入れ替わり続け、最終的に関ケ原の合戦後に岡山藩小早川秀秋の領地となった。

が、小早川秀秋は1602年に病没し小早川氏は断絶。旧小早川領のうち美作国は森忠政の領地となり津山藩18万石が誕生する。

津山城も1604年から築城が始まり1616年に完成した。

森氏は1697年に無嗣改易となり、代わりに松平氏(越前)が10万石で入封し明治維新まで続いた。

明治維新後は廃城となり、天守閣以下全ての建築物が売却・破却された。1890年の腰巻櫓石垣の崩落をきっかけにして城跡の保存運動が興る。1900年に鶴山公園として開園。桜の名所として長らく市民に親しまれ、2002年には本丸に備中櫓が復元された。

 

概要

とにかく石垣がすごい。

下の標高図を見て下さい。城跡が見事に段々になっており、この段はほぼ全て石垣で囲まれています。

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出典:国土地理院

城の要所をガッチリと石垣で固める例は数あれど、数段に渡って石垣を整備している例は日本にもほぼありません。姫路城・熊本城……くらいじゃないかと思います。とにかく、津山城の石垣の規模は日本でもトップクラスだという事です。

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出典:現地パンフレット

本丸を二の丸が囲み、その二の丸を三の丸が囲むという輪郭式の縄張です。本丸は結構な広さで江戸末期まで御殿がありましたが、二の丸・三の丸は割と狭くて腰曲輪のような雰囲気です。

三の丸の外側には外堀に囲まれた外郭が存在し、重臣の屋敷などは殆ど下にあったようです。

ここの天守閣は中々特徴的で、破風が一切無いシンプルな形態です。しかも、4重目が瓦屋根ではなく庇になっています。

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出典:津山市

この庇には以下のような逸話があります。

ある日、藩主の森忠政が江戸幕府に呼び出された。話を聞くとどうやら五重の天守閣を築いたのが問題になっているらしい。最近は幕府から外様へのいちゃもん的な詮索が多く、これもその一環であろう。

忠政は「これはまずい」と思い家臣の伴唯利をただちに津山に派遣した。伴は幕府の使者に先んじて津山に到着し、四重目の瓦を全て落とす大胆な対策を取った。
そして後から到着した幕府の使者には「あれは屋根ではなく庇である」と主張して難を逃れたのであった。

 う~~~む、かなりの力技です。これで幕府も納得したのかww?

地元の伝説では伴唯利は仙術を使い1日で江戸から津山に到着したとのこと。史実でもおそらくは昼夜問わずカッ飛ばして文字通り「飛んで」戻ったのでしょう。幕府から外様大名への圧力を感じてしまうエピソードです。

天守の他には二重櫓・平櫓が石垣上に所狭しと並んでいたことが古地図や古写真から明らかになっています。その数なんと70基~60基!この数は広島城76基(日本一櫓が多い)や姫路城61基に匹敵するとんでもない数です。

 

何重にも連なる石垣・日本有数の櫓群・4重天守と名城の要素しかない津山城。今回は蒸し暑い7月初旬に行ってきました。

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岡山市から中国山地を延々1時間半走って津山市に到着です。いやはや、中国地方は本当に山深い。岡山から10分くらいで、山奥のような山道になって驚きました。

 

まずは城のすぐそばにある津山市郷土博物館を訪れます。こういう博物館は城に関する有益な情報が多い。

土器や古墳の展示に混じって、津山城の想像模型がありました。

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ううむ、これは素晴らしい出来栄えの模型だ!天守閣の庇や石垣の反りまで再現されています。

どうやら広島大の研究室が作成したらしい。あの三浦正幸先生監修なら納得ですね!!

こうして模型を見ても、櫓の多さが際立ちます。20万石の大名レベルの城ではないですねぇ。やっぱり、中国山地という木材産地が近くにあるので、建築コストが安かったのでしょうか?

 

博物館を出て城に入ります。一番下から本丸までは標高差約50m。姫路城よりちょっと高いくらいですね。

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大手の登城口を登ると、表門に着きます。ここで入場料を支払う。

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料金所横にある藩祖森忠政公の銅像です。いやはや、すっごい気難しそう……上司にいると嫌なタイプですね笑。

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表門の枡形虎口です。切り込みハギの石垣が素晴らしい。

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この表門、コの字になっているのですが、とにかく広い。建物は無かったようですが、それでもこの広さだけで相当な威圧感です。

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登りきると三の丸に到着。二の丸の石垣が見えています。

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三の丸にある鶴山館の方から本丸を眺めます。下が表門と三の丸の石垣、その上が二の丸、櫓があるのが本丸の石垣です。見事な一二三段になっている事が良く分かります。

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二の丸への登り口である表中門です。左右に道が続いていますが、本丸に行けるのは左のみ。

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二の丸に到着。上に見るのは本丸の備中櫓。やっぱり建物があるといいですね~。一気に城の雰囲気が出てきました。

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備中櫓下の二の丸ですが、見ての通りちょっと狭い印象です。実際に江戸時代もここには建物は無かったらしい。

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備中櫓下の石垣。うーむ、これは素晴らしい打ち込みハギ。最高ですね。反り返りの角度も実に美しい。算木積みがやや甘いので津山城でも初期の石垣だと思われます。

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次は切手門を登ります。

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切手門から後ろを見ると、備中櫓を横から見れます。正面から見るのとはまた違う雰囲気。

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切手門を通るといよいよ最後の表鉄門です。

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と、本丸に行くその前に見ておきたい所が。実は本丸の東側を通って搦手門に行く隠し通路がありました。

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工事中になっているのが正にそれです。右の石垣が倒壊しそうで不安だ……。

 

さて、表鉄門跡を通っていよいよ本丸に到着です。

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いや~、広い!広いっすね!!今までで見てきた曲輪で最も広い。本丸にあった本丸御殿は明治維新まで利用され続けたようです。これほどの高さの平山城なら利便性を求めて本丸御殿が二の丸や三の丸に移転する例(姫路城とか)が多いのですが、津山城は二の丸・三の丸が狭いので移転できなかったのでしょう。

 

本丸南側にある備中櫓は望楼型の非常に古式ゆかしい雰囲気。

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入場は無料。なんだか縁側があって櫓っぽくないような感じです。

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おお!なんだか中は御殿みたいだ!

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どうやら本丸御殿と直接連結されて実質的に御殿として利用されていたらしい。

2階の望楼部分も畳敷きになっています。

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実はこの備中櫓は菱形の形状をしています。隅っこを見ると分かりやすいですね。普通の板敷の櫓だと意外と分からないんですよね。この歪みが。

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さて、本丸の次の見どころである天守台に行きます。

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うん、デカいね!備中櫓なんか比較にならないほどデカいです。隅石も大きく大変重厚感のある天守台です。

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天守台中央の穴倉跡。まぁ普通の形状だと思います。

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で、上の写真に写ってる看板に「愛の奇石」というハート型の石が紹介されています。まぁ言われてみれば珍しい形の石ですけど誰向けなんだw?

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天守台からの眺めです。人口10万人なのでそれなりに都市っぽい風景になっています。ちなみに下に写ってるのは天守台の下にあった多門櫓の跡です。

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備中櫓方面。石垣と櫓、土塀が入り組んでおり見るからに堅固な雰囲気。おそらく昔はこの城の全てがこういう雰囲気だったのでしょう。

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さて、次は搦手側から本丸を降りて二の丸の手前にある腰曲輪へ降ります。手前が埋門で、奥が裏鉄門。表鉄門よりも明らかに狭いですね。

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裏鉄門と繋がっていた腰巻櫓の石垣です。なんか雰囲気がおかしい?と思ったら……

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明治時代に崩壊して再度積みなおされていたようです。確か、上の写真を見ると、左側の隅(崩れていない)と右側の隅(崩れた箇所)の雰囲気が違っています。

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横から見るともっとはっきり分かりました!積み方が雑で高さも低い。なるほどなぁ。

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本丸大戸櫓の高石垣です。津山城が中くらいの高さの石垣を何段も重ねる形式ですが、北側はこのような高石垣で防備されています。

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ここから下を眺めると沼のような水堀があります。あれは薬研堀で、外堀の内側にあった2つの堀の片方です。見ての通り、この城の裏側は石垣だけではなく、土塁や堀も駆使されている事が分かります。

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腰曲輪から裏中門を通り、二の丸に下ります。やはりここも表より狭くて石垣の石も小さい印象。でも石垣の高さは表と同等くらいです。

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二の丸から見る本丸色附櫓の石垣です。ここも打ち込みハギが見事で素晴らしい。備中櫓の石垣よりも算木積みがしっかりしていますね。

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二の丸土塀跡から眺める白土櫓の石垣。こちらは石垣の反りが素晴らしい。高さも十分あります。

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裏下門を通って三の丸へ下ります。

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うん、やっぱり下から見ても素晴らしい。ここの二の丸石垣が津山城で最も素晴らしい石垣じゃないでしょうか。

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三の丸の西側を通って表に戻ります。

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二の丸石垣は南面で一部崩れている箇所があります。江戸時代の絵図では石垣になっているので、明治以降の崩壊かもしれません。しかし、資料にはこの崩落について記載されておらす……(腰巻櫓石垣の崩落は書いてあるのに)。謎です。

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三の丸南側に戻ってきました。最後に三の丸の東の端から津山城の東面を見てみます。

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東面です。こっちは川に面する急斜面で石垣も一部しかありません。手前が二の丸・奥が本丸の石垣です。

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三の丸から眺める津山城。やっぱりここからの景色が最も津山城っぽい景色ですね!

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これで津山城の見学は概ね終わりですが、最後に外堀の跡と移築された門を見に行きます。

 

まずは城をぐるりと囲んでいた外堀の遺構です。美作教育会館の裏手に外堀石垣がわずかに残されています。

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外堀の遺構はほぼここだけですが、地形としては津山市街にボンヤリと残っています。一番上に載せた標高図でも薄っすらと分かりますね。

 

最後に津山城唯一の現存建築である四足門に行ってみます。二の丸表中門の奥にあった薬医門形式の門で、現在は美作国一之宮である中山神社の神門になっています。

 

津山城から車を15分ほど走らせて到着。参道を歩くとすぐに四足門が見えてきました。

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やっぱり元は城門だけあってかなり大きいです。民家の門より高さは2倍くらいありそう。太いケヤキの柱を使っており、装飾が少なく簡素な点も城門っぽさを感じます。

 

感想

建築物はほぼ備中櫓(復元)のみ、城主も地味、知名度は低い、と一般的には影の薄い津山城ですが、石垣の凄さは間違いなく全国最大級でした。特に表門あたりから見た三の丸・二の丸・本丸の三段に重ねられた石垣は圧倒的の一言。城内にこれでもかと巡らされた高石垣には惚れ惚れしました。城好きならまず間違いなく満足できます。

一方で建築物が備中櫓しか無いというのは寂しい限り。博物館で昔の櫓が林立していた模型を見ると、ポツンと備中櫓だけ建っている様子が寂しく思えてしまいました。過疎化が進む津山市では難しいかもしれませんが、是非とも天守閣の再建をして頂きたいところです。

 

おまけ

津山城の遺構ではないですが、八丈岩という場所の眺めが良いらしいので行ってみました。

かなりの急斜面を車で登って石山寺というお寺の駐車場に到着。ここから登り始めます。

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徒歩5分くらいで到着しました。

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ん~!!いい眺め!中央の森が津山城ですね。こうして見ると津山って意外と都会ですよねぇ。

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この八丈岩の近くには石を切り出す矢尻の跡があります。津山城の築城の際はここから石を持って行ったとのこと。津山城の立派な石垣は、近場に石切り場があるという好立地だったことも影響しているのでしょう。

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 本当は津山機関庫とかも行きたかったのですが、時間切れで残念。まあそっちは鉄道で津山を訪れた時にでも行ってみますかね。

 

おわり