転がる五円玉 ~旅と城と山~

旅行や登山の記録を書いていきます。不定期更新 同人誌通販はこちら! https://korogaru5coin.booth.pm/

甲府城 ~野面積みの真骨頂~

 甲府城はその名の通り山梨県甲府市にある城です。

甲府といえば武田信玄ですが、信玄時代は甲府の北にある躑躅ヶ崎館が本拠地で、今の甲府城の場所には小さな砦があっただけだったようです。

武田氏滅亡後は徳川家が甲斐を領有したものの、ほどなく関東に転封となります。その後には豊臣家家臣である浅野長政・幸長が甲斐を領有しました。当時の支配拠点である躑躅ヶ崎館は中世の平城であり設備が時代遅れであったことから、より平野に近い甲府の一条小山という丘に新しい城(甲府城)が築かれます。

関東の家康を押さえる目的もあったためか、西国の穴太衆によって築かれた石垣は東日本随一の規模となりました。今に見られる石垣も大半はこの時代のもののようです。

関ヶ原の戦いののちに浅野氏は和歌山に転封となり、甲斐は再び徳川家の領地となります。江戸時代は親藩や柳沢氏の居城となったこともありましたが、大半の時期は幕府直轄地となり、城には幕府から派遣された城番が置かれていたようです。

明治以降は城内の建築物が全て撤去され、城内に中央線が通ったり県道が通ったりと遺構の破壊が進みました。1904年に残された城跡が舞鶴城公園として市民に開放され今に至ります。

 

正直言って山梨と言えば武田信玄・武田信玄と言えば武田氏館(躑躅ヶ崎館)という感じで山梨といえば甲府城というイメージは殆どありません。というか甲府に城がある事を知らない人も多いのでは。
 

しかしながら、縄張を見れば分かるように敷地面積や石垣は甲斐24万石の中心として相応しい規模感があります。

f:id:harimayatokubei:20210301214836p:plain

中央の小高い丘に本丸を置き、西側の平地に御殿などを置いた典型的な平山城プラン。

注目すべきポイントは門の位置が偏っている点です。北に山手御門・西に柳門・南に大手門があるのですが、東半分には一つの門もありません。

これに対して現在の地図を見ると…

f:id:harimayatokubei:20210301215610p:plain

稲荷櫓の南のスロープと南の堀に橋が架かっています。これらの入口は明治以降の改変ですね。

冷静に考えると南の橋に枡形もなにも無いのは怪しいし、稲荷櫓のスロープも本丸のすぐ下に出てしまうのはおかしい。本来なら大手門→楽屋曲輪→鍛冶曲輪→二の丸→天守曲輪→本丸といくつもの曲輪を経なければいけません。こういう明治以降の改変には気を付けて見ていきたいですね。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

甲府夢小路という商店街?の駐車場が1時間まで無料なのでそこに車を停めました。

駐車場からまず見えるのが山手御門。甲府城の北を守る門です。

f:id:harimayatokubei:20210225200959j:plain

うおおお……さっそく櫓門がもの凄く立派です。そこらの小城とは比較になりません。流石は幕府直轄地の城。

f:id:harimayatokubei:20210225201004j:plain

山手御門は平成19年に復元された門です。そのため石垣もなんとなく新しめですね。

 

無料なので中に入ってみます。

f:id:harimayatokubei:20210225201010j:plain

ちょっとした資料館になっていました。

f:id:harimayatokubei:20210225201039j:plain

ひときわ大きく展示されていたのが柳沢吉保。実は唯一徳川家以外で甲府城の城主となった人物です。とは言っても20年たらずの短い間ですけどね。

f:id:harimayatokubei:20210225201033j:plain

復元前の山手御門の写真もありました。石垣は下部だけですがよく残存していたようです。よくここから門全体を復興したものです。

f:id:harimayatokubei:20210225201028j:plain

門から眺める稲荷櫓と本丸。城が線路で分断されている様子がよく分かります。

f:id:harimayatokubei:20210225201016j:plain

下から眺めてみます。

f:id:harimayatokubei:20210225201043j:plain

非の打ち所がない立派さ。文句無しです。

f:id:harimayatokubei:20210225201050j:plain

 

次は線路を渡っていよいよ城の本丸へ行きます。

稲荷曲輪の入口にあたる内松陰門に到着。

f:id:harimayatokubei:20210225201123j:plain

意気揚々と入城しようとしたら警備員に止められました。うーん何事?

話を聞いてみると「今日の夜に本丸から花火を上げるので立入禁止」とのこと。

 

おいおいマジか。夜9時には入れるようになるらしいが流石に遅すぎる。まぁ今日は甲府に泊まるので明日また来ればいいですかね……。

 

この後温泉に浸かってのんびりした後に甲府駅前を歩いていた所、突如城から花火が打ちあがりました。

f:id:harimayatokubei:20210301222220j:image

うおっ、警備員が言っていた花火はアレか……。どうやら信玄公生誕500周年の記念花火らしい。運が良いんだか悪いんだか。珍しいものを見れたしこれはこれで良しとしますか。

 

甲府で一泊した翌朝、再び甲府城に参上!今日は稲荷櫓下から巡ります。

f:id:harimayatokubei:20210225201131j:plain

白壁に朝日が映えて美しい。二重櫓としては大き目なので高石垣とも良いバランスになっています。ちなみに手前の公園はかつて水堀だった場所です。

 

野面積みの高石垣です。稲荷曲輪東の石垣は城内でも随一の高さ。隅の算木積みが明瞭でないので、浅野氏時代の石垣ではないでしょうか。

f:id:harimayatokubei:20210225201143j:plain

いやそれにしても・・・・・・この石垣は圧倒的に凄い。高石垣は全国各所にありますが、野面積みでここまで大規模なのは類を見ないと思います。豊臣大阪城の石垣もこんな感じだったのかもしれません。

 

数寄屋曲輪の石垣。横矢が見事です。

f:id:harimayatokubei:20210225201158j:plain

 

奥が数寄屋曲輪で、左が鍛冶曲輪です。

f:id:harimayatokubei:20210225201209j:plain

鍛冶曲輪正面にやってきました。本丸まで累々と重なる石垣は実に立派です。率直に言って思ったよりも凄い。

f:id:harimayatokubei:20210225201220j:plain

ちなみにこの橋は前述したように明治以降の造成です。

 

幅の広い水堀に土塀が映えて美しいですねぇ。この水堀は大大名の居城にも引けを取りません。

f:id:harimayatokubei:20210225201227j:plain

 

やってきたのは鍛冶曲輪門。かつては楽屋曲輪と鍛冶曲輪を結んでいましたが、今では手前側の楽屋曲輪は消滅しています。この門自体は高麗門が一つあるだけのやや簡素な形式。

f:id:harimayatokubei:20210225201239j:plain

鍛冶曲輪です。本丸の南側に広がっており、グラウンドくらいの広さはあります。明治時代には紡績工場があったらしい事も納得の広さ。

f:id:harimayatokubei:20210225201254j:plain

鍛冶曲輪・天守曲輪・本丸と三段構成になっているのがよく分かります。

f:id:harimayatokubei:20210225201300j:plain

驚いたのは塀の犬走がとにかく広いこと。大量の人員を動員できる構造になっていることがよく分かります。

f:id:harimayatokubei:20210225201249j:plain

ちなみに天守曲輪下の斜面には石切り場が残されています。なんて贅沢な。江戸城は小豆島からわざわざ運んだというのに。石垣が立派なのも納得です。

f:id:harimayatokubei:20210225201305j:plain

鍛冶曲輪と二の丸を結ぶ門です。石垣が野面積みではない……?と思ったら大正時代に改修された箇所でした。

f:id:harimayatokubei:20210225201318j:plain

枡形構造の門を上がった先が二の丸です。

f:id:harimayatokubei:20210225201323j:plain

二の丸跡に立つ山梨県警道場。御殿建築と言われても気が付かないほど立派ですね。

f:id:harimayatokubei:20210225201329j:plain

ちなみに二の丸は道路によって面積の半分程度が失われています。今では稲荷曲輪・鍛冶曲輪よりも遥かに狭い印象。

f:id:harimayatokubei:20210225201338j:plain

さて、いよいよ本丸に登ります。石垣の上に立つオベリスクは謝恩碑で、一見天守台に立ってるようですがただの櫓台です。

f:id:harimayatokubei:20210225201346j:plain

本丸と鍛冶曲輪の間にあるのが天守曲輪。5mほどの幅しか無く、広い犬走のような印象ですね。

f:id:harimayatokubei:20210225201352j:plain

本丸の入口に聳えるのが鉄門です。

f:id:harimayatokubei:20210225201357j:plain

左右の石垣は算木積みが未発達で技術的な未熟さが目立ちます。これも浅野氏時代の石垣でしょう。

f:id:harimayatokubei:20210225201402j:plain

鉄門。急斜面の上に立っているためとにかく凄い迫力です。

f:id:harimayatokubei:20210225201407j:plain

いよいよ本丸入りです。

謝恩碑の上から本丸を眺めます。奥が天守台ですね。広さはそこそこありますが、ちょっと狭めかも。

f:id:harimayatokubei:20210225201416j:plain

ここからの眺めが素晴らしい。山梨県庁と南アルプスが見えます。山に恵まれた山梨県らしい景観。

f:id:harimayatokubei:20210225201412j:plain

ちなみに本丸には櫓風のトイレがありました。キチンと漆喰塗りで非常に金がかかっている事が良く分かります。

f:id:harimayatokubei:20210225201429j:plain

いよいよ天守台です。

f:id:harimayatokubei:20210225201434j:plain

甲府城に天守閣があったかは議論の分かれる所ですが、少なくとも江戸時代には無かったようです。甲府市は天守の存在を裏付ける資料を懸賞金掛けて求めていますが……正直望み薄でしょう。

f:id:harimayatokubei:20210225201501j:plain

 

天守台から眺める鉄門と謝恩碑。ここからの眺めもいいですねぇ。

f:id:harimayatokubei:20210225201444j:plain

稲荷櫓を見下ろします。鍛冶曲輪ほどではないけれどそれなりに広い。

f:id:harimayatokubei:20210225201449j:plain

そして甲府市街の向こうには富士山。やっぱり目立ちますねぇ。

f:id:harimayatokubei:20210225201506j:plain

鉄門から本丸を降りて次は天守曲輪へ。

f:id:harimayatokubei:20210225201519j:plain

 

南から眺める天守台。物凄く立派です。この立派さは言葉では中々伝わりません。

f:id:harimayatokubei:20210225201526j:plain

ここに天守閣が建っていたらさぞ立派なんだろうなぁ。模擬天守でもいいので復元はできないものですかね。

 

天守台北のスロープから稲荷曲輪に降りました。

こちらは甲府城で唯一復元された櫓である稲荷櫓です。

f:id:harimayatokubei:20210225201543j:plain

中が無料で公開されているので見学。コロナのせいで2階には上がれず。残念。

f:id:harimayatokubei:20210225201548j:plain

中には石垣や外堀に関するややマニアックな展示がありました。甲府城には江戸時代の石垣があるというので稲荷櫓を出て探してみると・・・・・・早速発見。天守曲輪北東の角が野面積みではなく切り込みハギになっています。

f:id:harimayatokubei:20210225201558j:plain

野面積みよりも精緻ですが、一方で石が全体的に小粒なので迫力には欠けます。

この辺の事情は山梨県の下記HPに詳しいので必見。

www.pref.yamanashi.jp

 

こちらは稲荷曲輪にあるトイレ。ここも豪華で予算が掛かっていることがよく分かりますねw。流石は国指定史跡です。

f:id:harimayatokubei:20210225201553j:plain

この稲荷曲輪には埋もれた石垣が展示してあります。解説によると犬走りを拡張するために石垣を増築したのでは?とのこと。

f:id:harimayatokubei:20210225201603j:plain

稲荷曲輪から眺める天守台。ここから見る天守台が一番大きく見える感じ。

f:id:harimayatokubei:20210225201608j:plain

稲荷曲輪と鍛冶曲輪の間にある数寄屋曲輪です。やや小さめな印象。

f:id:harimayatokubei:20210225201614j:plain

ここから眺める稲荷曲輪の石垣は左右で若干毛色が違います。甲府城にはこういうポイントがちょくちょくありますね。

f:id:harimayatokubei:20210225201619j:plain

数寄屋曲輪を下りて鍛冶曲輪まで戻ってきました。

f:id:harimayatokubei:20210225201631j:plain

これで大体城内は一周したので駐車場に戻ります。

県道を渡る際に見つけたのが二の丸の石垣。手前側は昭和の施工で、奥が江戸時代の石垣です。

f:id:harimayatokubei:20210225201636j:plain

手前側の石垣は道路工事によって失われたと考えられます。

 

さて、これで甲府城は大体見終わったのですが、稲荷櫓内で外郭の堀跡(三の堀)が紹介されていたので見に行ってみようと思います。

甲府城の城下町は幅1mほどの堀で周囲を囲まれており、町中にその痕跡が残っているというのです。

 

甲府城から車で走ること5分、甲府市朝日町にある朝日公園に到着しました。

この公園近辺にあるこの暗渠。これこそがまさに三の堀です。

f:id:harimayatokubei:20210225201642j:plain

 暗渠の上を歩いてみると、今でも水を湛えている様子が確認できました。

f:id:harimayatokubei:20210225200936j:plain

朝日公園の脇にも堀が確認できます。

f:id:harimayatokubei:20210225200941j:plain

こういう細かな遺構は中々残っているものではありません。ちょっと感動。

なお、これらの堀跡は民家の軒先を流れているので見学には十分注意が必要です。

 

この他にも武家街を囲っていた二の堀も一部現存しているようです。

www.pref.yamanashi.jp

 

今日はこの後に躑躅ヶ崎館にも行くので、今回の見学は終了としました。

 

感想

いやはや・・・・・・とにかく石垣が凄い!凄い!凄い!

こんなに凄いとは思いませんでした。野面積みの甲石垣は圧巻の一言です。とにかく素晴らしい。それに遺構の残存状況も思ったよりいいですね。門は山手御門しか残っていませんが、鍛冶曲輪・稲荷曲輪・天守曲輪・本丸はほぼ完璧に残存しています。

中の整備状況も素晴らしい。解説板は至ることにあり、景観に配慮したトイレや東屋も雰囲気に合っています。

全体的な規模感は姫路城や熊本城のような大城郭には劣りますが、石垣の立派さは全く引けを取りません。いやむしろ野面積みの素晴らしさでは日本でもトップクラスかもしれません。知名度の低さは難点ですが、城としては超一級です。山梨に来たら是非訪れて欲しい名城ですね。

 

おわり