久留米城 ~九州らしい立派な石垣を備えた堅城~
歴史
久留米城は筑後平野の真ん中にある久留米藩の居城である。
戦国時代後期には篠山城という名であったが、規模や歴史は定かではない。
豊臣秀吉による九州征伐後の1587年に小早川秀包が8万石で入城し、石垣を積み堀を作る大改修を行った。
小早川秀包は関ケ原の合戦で西軍についたため改易され、次に田中吉政が32万5千石で入城するも、本拠地は柳川にしたため久留米城は支城となった。さらに一国一城令によって城内の建物が破却され一時は廃城同然となったようである。
1621年に田中家が無嗣改易となったので、旧領地の柳川には立花氏が、久留米には有馬豊氏が21万石で入城した。なお、有馬豊氏は福知山8万石からの移封なので一気に2倍以上の所領を手にした事になる。
有馬氏の居城として久留米城は大改築が実施されたが、大阪城の普請や島原の乱の出兵などで遅々として進まなかった。結局、完成したのは4代目頼元の時代であった。
明治に入ると城の全ての建造物は破却され、堀も殆どが埋め立てられた。現在の本丸は篠山神社に、二の丸・三の丸はブリジストンの工場となっている。
概要
久留米城はやや地味な城ですが、本丸全周を二重の多門櫓で囲み、三重櫓が7基もあったという凄まじい特徴があります。
絵:天野耕峰 出典:久留米市教育委員会 歴史散歩
上の絵図は20世紀に入ってから描かれたものなので旧状を正確に記している訳ではありませんが、往時の雰囲気がよく伝わります。
本丸を全て二重の多門櫓で囲んだ城なんて他にありません(多分)。また、この規模の三重櫓を7基も配置したというのも中々見られません。
ただし、豪壮な本丸と打って変わって二の丸・三の丸は石垣が使われず櫓等も無かったようです。
これは時代背景が関係しているかもしれません。有馬氏が久留米に入城したのは1621年。既に大坂の陣も終わっており戦国の気風は過去のものとなっていました。威厳を保つために本丸は非常に重防備&豪華にしたものの、泰平の世で二の丸・三の丸まで固めるのはあまり意味が無いと考えたのかも?
全体的な縄張は北を本丸にして二の丸・三の丸・外郭を並べた連郭式です。平野に位置しているためか堀はかなり広かったらしい。
残念ながら現在残っているのは本丸のみで、二の丸・三の丸・外郭は市街地の下となっています。
ただ、地形の高低差をよく見るとボンヤリとですが二の丸・三の丸・外郭が浮かび上がってきます。目に見える遺構ではないかもしれませんが、これはこれで面白い。
本丸内は下地図のようになっています。今は篠山神社が立地しており城の建築はありません。
今回は、本丸を中心に見るほか外郭の遺構も少しだけ見てきました。
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久留米市には西鉄久留米駅とJR久留米駅があるけれど、繁華街があるのは西鉄のほうで、城に近いJR駅はあまり栄えてはいません。このせいか久留米城周辺も大学や住宅が並ぶ落ち着いた街区になっています。
そんな住宅街に突如現れる巨大な石垣。
いきなりすんごい。写真には写っていませんが左右に石垣が続いているのでかなり圧巻です。ちなみに車は本丸の東側に停めました。
よっしゃ~、まずは本丸の内部に行ってみよう。
大手門左の石垣もすごく高い。これは相当な規模ですよ。
大手門の桝形虎口。大きさは普通サイズですね。
石垣は打ち込みハギですが、岩の大きさも揃えられており重厚感を感じます。
大手門から見る石垣と水堀。いや~高いですなぁ。これだけの高さなら普通に高石垣を名乗れるレベルです。21万石は伊達ではない。
本丸内部に鎮座する篠山神社。有馬氏の歴代当主をご祭神としています。ちゃんと管理されているので参拝客も結構いるのでしょうか。久留米市内には水神宮総本社や筑後一宮高良大社などの神社的なライバルも多いのですが。
本丸の西側の社務所などがあるエリアには有馬記念館があります。
入口にデカデカと飾られるブリジストンタイヤ寄贈の銘板。ブリジストンは久留米が創業地だからでしょう(久留米に来るまで知らなかった……)。
210円で入場。残念ながら中は撮影禁止ですが、最近内部改葬されており綺麗で分かりやすい展示でした。おすすめです。
20分ほどで記念館を見たので次は神社にお参りしておきます。
こちらは本丸西側から望む筑後川。見ての通り城のすぐ下を流れています。
写真奥には水の手御門という筑後川に出る門があったようなのですが……社務所の裏手なので入ることはできません。ヤブが濃すぎる上に謎のバラックが建っているので下からも無理そう。
本丸の北西にあった乾櫓跡です。
この櫓台付近だけは石垣ではなく土塁になっています。有馬記念館での資料によると、ここだけは城が篠山と呼ばれていた頃の斜面がそのまま利用されているとのこと。
土塁の上を歩きます。普通の森っぽい雰囲気だけどここにも多門櫓が建っていたんだなぁ。
艮櫓跡です。ここは内側に石垣が残っているので分かりやすい。
この櫓台から石垣になります。正面のグラウンドは堀だった場所です。
大手門・水の手御門に続く3つ目の月見櫓門です。ここにも三重櫓である月見櫓がありました。
そして最後は南東にあり城内最大だった巽櫓跡です。
久留米の街は平坦なのですこぶる眺めも良い。ちなみに、大きいビルは久留米市役所です。
次は本丸の外を時計回りに一周してみます。
まずは正面の水堀と高石垣。実に見事。
よく見ると、右と左で積み方が微妙に違いますね。右は扇の勾配ですが左は直線的に石垣が積まれています。もしかしたら田中家と有馬家の築城術の差かも?
この石垣はどこから撮っても大変良い。二重多門と三重櫓が建っていたら更に良かったでしょう……。
本丸西側は住宅街が広がっており石垣には接近できません。一応公道の奥まで行ってみたのですが、これ以上は個人宅なので断念。正面の石垣は水の手御門のものです。
仕方が無いので筑後川の土手を歩きます。
藪が薄そうな所があったので突撃してみました。
うーん……戦果無し笑。普通に石垣があるだけでした。。。
本丸北側の石垣が無いエリアです。
篠が生えていたから篠山と呼ばれていたそうですが、まさに篠だらけですね。意外と植生って変化しないものなんだな。
本丸北東の艮櫓台。上がちょっと崩れている模様。
本丸東側の石垣です。正面の石垣も良いですが、ここも素晴らしい。
見事な算木積みは石垣技術の成熟を感じられます。
月見櫓とその門。
大手門と違って狭いのでいかにも裏門という感じ。左の石垣がちょっと乱雑なのはなぜでしょうかね?
さて、本丸には大手門・水の手御門・月見櫓門の3つの門の他に、実はもう一つ門がありました。
それがこちら、月見櫓の真向かいから登り、巽櫓の下を通るルートです。
ご覧の通り今ではただの土砂崩れにしか見えませんが、確かに絵図を見ると門があります。
結構な斜度だけどなんとか登れない事は無い(家族連れから相当変な目で見られた……)。
登り切って巽櫓の下に到着しました。
ん……!?巽櫓の石垣、ヤバくないか……?
ここまでの孕み出しは見たことがありません。近い将来崩れてしまいそうです。
この道を進むと、大手門に辿り着きます。おそらくは大手門を攻める敵を背後から襲うための道でしょう。久留米城本丸の戦闘意識の高さが垣間見えます。
これで本丸……というか久留米城のほぼ全てを見ましたが、三の丸の土塁が微妙に残っているので行ってみます。
本丸から車で3分ほどの距離にあるこちらの土塁がまさに三の丸跡です。
ちなみに上はブリジストンの工場。そのせいか石垣ならぬタイヤ垣になっています。流石世界的タイヤメーカー……。
久留米城は本丸以外は土塁なので至極地味ですが、貴重な残存遺構です。
これで遺構はほぼ全て見たので久留米城終了です。ラーメンでも食べて帰りますか~。
感想
やっぱり久留米城は本丸ですね~。石垣の高さと長さ、美しさは21万石の大大名に相応しい規模です。
とはいえ遺構といえば本丸にしかない上に現存する建物もほぼ無い(移築門が少しだけある)というのは寂しい限り。本丸は完全に神社境内となっているので櫓の復元も望め無さそう。
遠方から来るほどではないですが、