転がる五円玉 ~旅と城と山~

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島原城 ~島原の乱の遠因となった名城~

歴史

島原城は長崎県島原市にある城である。

1624年完成と城としては比較的新しい。

1616年までは有馬家が島原の地を長年治めていたが日向に転封になり、代わりに松倉重政が4万3000石で入封した。当時は有馬氏の日野江城を居城としたが、手狭だったので1618年に島原城の築城を開始したのである。

工事は滞りなく進み、1624年に島原城は無事に完成した。しかし、島原城の規模は4万3000石に見合わないほど立派であり、築城のため重税と重役を課せられた領民の不満は高まっていった。

2代目松倉勝家の時代になると、更に過酷な重税を領民に課した他、キリシタンに対しても非常に残虐な方法で摘発を行っていった。なんという事はない、領民は自分たちを虐げる武士を養っていたのである。

そして1637年、とうとう領民の不満が爆発して島原の乱が勃発した。一揆勢は島原城を襲い攻城戦となったが重防備な島原城は陥落しなかった。

この後、一揆勢は廃城となっていた原城に籠るも幕府軍13万に包囲され1638年に陥落。島原の乱は収束した。

乱の後はいくつかの大名家が入れ替わり最終的に松平氏8代で明治維新を迎える。明治時代に入ると天守以下全ての建築物は解体され本丸は畑になるなどしたが、堀や石垣はよく残った。

1964年に天守閣が復元された他、三重櫓も3基が復元されて今に至る。

 

概要

上にも書いた通り、4万3000石にしては立派すぎるほど立派な城です。五重天守もさることながら、櫓49基(そのうち三重櫓3基)というのも凄い。規模だけなら10万石~20万石級の大名居城に匹敵します。水戸城なんて35万石なのに二重櫓が4基だけですよ!なんなんだこの差は。

まぁその結果、領民の不満が爆発して島原の乱に至ってしまう訳ですが。領民の自分たちが作らされた島原城を攻めて落とせなかったというのは皮肉ですよね……。

 

縄張りは典型的な連郭式です。城の本にも連郭式の例としてよく載っています。

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出典:肥前国高来郡嶋原城図

特徴的なのが本丸に門が一つしかない点。本丸が二の丸にしか繋がっていないため、二の丸との橋を落とせば本丸は完全に孤立します。

また、本丸は単一の平面ではなく内部は比較的ごちゃごちゃしています。近世城郭らしくない重防備さで、むしろ中世城郭っぽい。

 

あまり知られていませんが、島原城は本丸・二の丸・三の丸を囲むように石垣が積まれており外郭線を形成しています。この外郭線は堀がありませんが今でも市街地の各所で痕跡が見られます。

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下の図は現地案内板です。本丸・二の丸の他にも随所に石垣が残存している事が分かるかと思います。

標高図でも水堀の外側にある外郭線の段差がよく分かります。

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それにしてもこの城は元からあった丘を利用した訳では無いらしい。という事は本丸の土は全て農民に積ませたんだろうなぁ。結構むりやりというか力業です。

 

そんな島原城を今回は本丸と二の丸を中心に外郭線もちょろっと見てきました。

 

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この日は本当は雲仙岳を登ろうと思ってたんですけど山が雲被っちゃたんですよね。そういう訳で予定を変えて島原城へレッツゴー。

島原駅あたりに車を停めて徒歩3分ほども歩くと、いきなり目の前に城が表れました。

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おお・・・!!

デカい!島原城、思ったよりデカいぞ!!

深くて広い堀、幾重にも折れる石垣、三重櫓と五重天守。立派な城としての全てを備えています。島原駅前の「普通の田舎町」感からは想像もできないほどすごい!

三重櫓の大きさから分かるかもしれませんが、石垣もかなりの高さです。

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これは確かにたかが4万石の城とはとても思えません。

まずは時計回りに堀沿いを一周してみます。

 

こちらは本丸の南西側です。土橋が架かっていますが、これは昭和の改変で元々ここに橋はありません。

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本丸西側です。江戸時代はここも水堀でしたが、今では空堀になっています。

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左が二の丸・右が本丸です。あんまり丁寧に管理されてなさそうですね。

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北東から眺める二の丸。本丸より石垣が低いとはいえ、これだけの石垣が累々と連なるのは圧巻です。

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さぁ、ではいよいよ城内に入っていきます。二の丸の入口は枡形門でしたが、今は公民館と文化会館が建っておりよく分かりません。

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本丸と二の丸を繋ぐ橋は江戸時代は木橋でした。ここが本丸唯一の入口なので、木橋を落とせば本丸は水堀に囲まれた孤島のようになります。江戸時代の築城にしては戦闘意識が非常に高くて驚き。

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本丸入口の枡形門です。今は梅林になっている模様。

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門の石垣にあった鏡石。

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うーん、それにしても石垣があまり美しくない。石の大きさがバラバラです。所詮は小大名の安普請だったのかも。

枡形門を通ると……また石垣に囲まれた空間に出ました。

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古地図を見れば分かるのですが、本丸内に腰曲輪がいくつもありゴチャゴチャしています。設計思想としてはやや古め……それこそ戦国時代のような雰囲気です。

 

そしてこれらの曲輪を抜けると、ようやく天守閣が見えてきました。

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5重5階の見事な天守です。が、どうやら江戸時代の天守は4重だったようなのです。

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出典:三浦伝統建築文化研究室

一見すると五重のように見えますが、1段目は屋根ではなくなので四重です。なんでわざわざ四重にしたかというと、幕府への配慮ですね。セコい手段ですが津山城や福山城も同じ手を使って五重天守を四重にしています。

再建時にどのような考証がされたかは分かりませんが、「5階建てで」「破風が無い」という情報のみで想像で再建されたのでしょう。あまり正確とは言えませんが、再建から50年以上も経ってすっかり島原のシンボルになっているし、これはこれでいいんじゃないでしょうか。

 

ま、そういうオタク的な話はさておき天守閣に入ります。ちなみに天守台の石垣も再建です。

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中は展示室になっています。まずはキリシタンに関する展示へ。

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こちらは出土したマリア像。

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こちらは……おお、踏絵じゃん
教科書で習ったのが懐かしい。ちなみに影踏(かげふみ)とは「踏絵を踏むこと」を指すそうです。

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雲仙地獄で虐げられるキリシタンを描いた欧州の版画です。うーむ、まさに地獄。当時の欧州の人々は日本人を野蛮人だと思った事でしょう。まぁ実際野蛮人であることは間違いありませんが……。

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こちらは原城(上)を囲む幕府軍の地図です。よく見ると鍋島・小笠原・細川など有名大名が陣取っている事が分かりました。

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その原城から出土したキリスト像とロザリオ。

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他にも鎧兜などありましたが、このキリシタン関連の展示がものすごく面白かったです。宗教的に淡泊な日本という国でここまで苛烈な信仰心を持っていた人々がいたという事実が非常に興味深い。

信仰だの殉教だの、遠い国の事だと思っていましたが現実400年前の日本でそういう事が起こっていたのですね。イスラム過激派のような考えは私たちにも意外と根深くあるのかもしれません……。太平洋戦争の時もそうでしたし。

 

江戸時代以降の展示はスルーして最上階にやってきました。

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うおおー!めっちゃ爽快!!高い建物が無いから見晴らしが最高です!!f:id:harimayatokubei:20210429192312j:plain

手前の山は眉山。江戸時代に山体崩壊を起こし、島原大変肥後迷惑という大津波を起こした事で有名です。

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海方面を見ると、向こうにうっすらと熊本の山々も見えています。手前の三重櫓は巽櫓です。

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本丸と二の丸を眺めます。奥の学校のあるあたりがかつては三の丸でした。

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いや~本当に眺めが良いって最高ですねぇ。山も海も近いのでここの天守は特に素晴らしいです。思わず10分くらいダラダラしてしまいました。

 

さて、天守閣を降りてまずは巽櫓に行ってみます。

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西望記念館……?どうやら彫刻家らしいのですが、誰だ?

 

と、思って入ってみると、一発で見知った像が置いてありました。

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あっ、これかぁ!なるほど確かに有名でした。これは失礼。

ちなみに櫓内はごく普通の展示室でした。

 

次は丑寅櫓に行ってみます。この辺りは本丸の腰曲輪の構造がよく分かります。

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丑寅櫓(外観撮り忘れた……)の中は民俗資料館でした。特にいう事は無し。

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最後に三つ目の三重櫓である西櫓に行ったのですが、なぜか閉館中。まぁ大したものは置いてないらしいので別にいいや。

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この辺りから、島原城天守閣の全景を撮影できます。

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うー、手前の車が邪魔だぁ!駐車場を移転すればいいのに……と思うのですが、城の周囲は市街地なので難しいのでしょう。

 

これで城内はだいたい見たので、次は市内に埋もれる外郭線を見てみます。

まずは本丸南の石垣。駐車場の奥に3mほどの石垣があるのが分かりますか?あれこそ外郭線の石垣です。ちなみに上の建物は法務局と拘置所。

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そこから徒歩1分ほどで大手門跡に着きます。枡形門だったようですが、今は石垣が一部残るのみです。

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大手門付近の外郭線です。これは驚きました。かなり高くて立派です。本丸ほどではありませんが、しっかりと防御を意識している印象です。

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八尾病院の下にある外郭線。10mほどの石垣が連なっており圧巻。外郭線に関する案内板なども欲しいのですが、周囲は完全に市街化されているので難しいのかもしれません。

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ちなみに、この辺りは古い建物が多く城下町の雰囲気を残しています。小規模だけどそれなりの雰囲気があり良い感じです。

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そういう雰囲気につられて食べたのが、この「具雑煮」。山の幸がふんだんに入った島原の郷土料理です。

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たかが雑煮と侮ることなかれ。これが結構美味い。具の種類が多いので飽きないんですよね。ちょっとカロリーが足りない感じなのが残念。

 

感想

思ったよりも凄かった。これがまず口から出てきます。なんだかんだ言って、五重天守に三重櫓3基の威容はかなりのもの。とても人口4万人の街にある規模の城ではありません。県庁所在地レベルの大城郭と言って差し支えない大きさでした。

構造としては非常に単純ながらも、戦闘的な構成になっている点も印象的です。高い石垣や幾重にも折れる本丸の門は平和な時代の政庁ではなく、明らかに戦闘を意識したものでした。江戸時代に築城された城でこんなにバチバチに戦闘を意識している城は少ないと思います。

意外と良かったのが天守閣。キリシタンに関する展示はどれも興味深いものばかり。そもそもキリシタンが日本史でもかなり特異な存在なので、それに関する展示が興味深くないはずないのです。このテの展示にしては意外なほど面白かった。

そして眺めも素晴らしい。海と山と島原の街を文字通り一望できます。城に興味ない人を連れてきてもこれなら文句言われないでしょう。

総じて城としてかなり魅力的でした。願わくば、天守閣を江戸時代と同じ下見板張りにしてくれると嬉しいのですが……そんな事を想うのは城オタクだけかもしれません。

 

おわり