佐倉城 ~クソデカ空堀を刮目して見よ~
歴史
戦国時代のこの辺りは千葉氏の領地で、その千葉氏は本佐倉城を居城としていた。
千葉氏はこの地に城を築こうとしたものの、1度目(天文年間)は当主の千葉幹胤が暗殺されて中断、2度目(天正年間)も当主の千葉邦胤が暗殺されて中断、と二回も築城に失敗している。豊臣氏の小田原征伐で千葉氏は改易となり、城は未完のまま放置されることとなった。
1610年、小見川を領していた土井利勝が徳川家康の命で佐倉に移封され、この未完の城を整備拡張した。これが今の佐倉城である。
江戸時代の佐倉藩は土井氏・稲葉氏・堀田氏らが入封し、堀田氏六代100年で明治維新を迎えた。
明治以降は帝国陸軍歩兵57連隊の駐屯地となり堀が埋め立てられるなどする。戦後は公園として開放された他、1981年に椎木曲輪跡に国立歴史民俗博物館が建設されて現在に至る。
概要
佐倉は江戸のちょうど真東にあって房総半島を抑える位置にある街です。
江戸の東の守りとして戦略上重要な城なので、歴代藩主からは幕閣を多く輩出しています。天保の改革で有名な堀田正睦は特に有名。城主の期間も堀田氏が一番長いので地元では「佐倉城は堀田氏の城」という認識であるらしい。
全体的な縄張は「くびれた台地の先っぽを掘で区切る」という、ある意味で千葉県の城の典型的パターンです。椎木曲輪と東惣曲輪が大変広い点と、本丸・二の丸の堀が直線的な点がいかにも近世城郭という感じ。
今回は3月末にお花見を兼ねて行ってきました。
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春です。桜です。
駐車場も大混雑です。
佐倉城跡にある国立歴史民俗博物館の駐車場は満車なので、東惣曲輪跡の駐車場に行ってみます。
こっちはアホみたいに広いのでなんとか入れました。
江戸時代は武家屋敷が建っていたようですが跡形もありませんね。
この駐車場の脇に佐倉城址公園センターがあります。
中はちょっとした案内所になっています。本当にちょっとだけなので5分もあれば全部見れるくらいですね。
江戸時代の縄張図。GoogleMapと見比べてると今でも城跡が良く残っている事が分かります。
ザッと中を見たのでいざ城内に突撃。
まず見えるのが三の丸空堀です。
とにかく広い!当時より大分埋まっているようですが、水戸城空堀くらいの深さはあったのでは?こういう巨大な堀はいかにも近世城郭ですね。
この空堀の横で道がクランク状に曲がっており三の丸の入口である三の門がありました。
東惣曲輪と三の丸を隔てる空堀。とんでもなく深いです。これは結構すごい。
三の門跡。枡形などは無く、普通に櫓門がかかっていたらしい。
三の丸内部はそこそこ広い空間になっています。
三の丸の奥にある茶室:三逕亭(奥の建物)の手前には堀跡とおぼしき窪みがあります。三の丸はこの堀によって二つに分かれていたようです。
二の丸の入口にあたる二の門跡。
右が堀田正睦・左がハリスの銅像です。佐倉藩主の堀田正睦は分かるけど、ハリスはちょっと謎な人選ですねw
ここの堀も深いのですが、藪化しており全く分かりません。残念。
ちなみにこの二の門は古写真にあるように立派な櫓門でした。佐倉城は他にも櫓門が7つもあったのですが、全て解体されています。一つくらい残っていれば良かったのに……残念。
二の丸の土塁は高さ3m程度と普通くらいの大きさ。堀に比べたら小規模ですね。
二の丸自体は大変地味ですね~。本丸に沿っているので全体的に細長いせいで狭苦しい印象です。
いよいよ本丸へ。ここにあった一の門も立派な櫓門でした。
本丸です。賑わっている雰囲気が大変いいですね~。すごく春っぽい平和な光景です。
とりあえず天守台に登ってみましょう。
本当はすごく眺めがいいはずなのですが、藪で殆ど見えず。もうちょっと整備して欲しいな。
内側は結構眺めがよろしい。ちなみにこの天守台は2段になっており、天守閣は内側から見ると4階、外側から見ると3階という特殊な形だったようです。
ここに天守閣があったら相当目立ちそうですが、今のところ復元計画は無いようです。
↑要するに「資料も金も無い」という事。ま、そんなもんだよね。
こちらは天守台の近くにあった銅櫓の跡地です。
この銅櫓、なんと太田道灌が築いた江戸城に建っていた静勝軒という建物を移築したものだったようです。確かに古写真を見ると軒先が短く風流な感じ。銅櫓は解体中の古写真が残っているので是非とも復元して欲しい所です。
本丸の土塁はこんな感じで一周できます。
本丸と二の丸を隔てる空堀も相当な深さ。というか三の丸の空堀よりも深くて驚きです。ここまで大規模だとは思っていませんでした。流石に10万石の居城は違うなぁ。
本丸は内側にも土塁があります。こちらは高さ1m程度で少々低い。写真は二重だった角櫓跡です。
こちらは台所門という本丸のもう一つの門です。こちらは平時は閉じられており不明門と呼ばれていたらしい。
本丸を出て、次は民博がある椎木曲輪の方に向かいます。
二の丸の端に置いてあったのが佐倉城の礎石です。ものすごく無造作に置いてあり案内板が無いと謎のオブジェにしか見えない。
椎木曲輪と二の丸の間には椎木門がありました。案内板にあるように、この門のすぐ前が角馬出です。
それがこの角馬出。とにかく大きい。そこらの中世城郭とは次元が違う大きさです。
うーむ、これはすごい。この堀は陸軍によって埋められて復元されたものです。遺構保護のために2mほど浅くしてあるとのこと。
少々綺麗すぎるような気もしますが、間違いなく佐倉城で最大の見どころです。
車がある東惣曲輪へ戻ります。
椎木曲輪と東惣曲輪を隔てる谷にあるのが姥ヶ池です。
由来は以下の通りらしい。
天保年間のこと、家老の娘をおぶっていた姥が誤ってその娘を池に落としてしまった。姥は困り果てて自分も池に身を投げてしまい、それからこの池は「姥ヶ池」と呼ばれるようになった……。(現地案内板より)
悲劇というには微妙ですが悲しい話です。
この池の近くには13階段という遺跡があります。これまた曰くがありそうな名前ですが、陸軍の高所飛び降り訓練用の施設だったとか。多くの13階段は木製だったので戦後失われましたが、ここはコンクリ製だったので偶然残ったようです。
これで城の中心部は大体見たので次は周囲を回ってみます。まずは大手門跡へ。
本丸から1㎞ほど東の佐倉市民体育館の近くに所に大手門跡があります。
古写真にあるように立派な櫓門でしたが今では跡形もありません。土塁がつい最近一部だけ復元されたようです。
次に向かったのが椎木曲輪の北にある田安門跡。こっちは城としては搦手ですが、民博の表門はこっちです。
水堀が残っており中々良い感じ。桜並木だったらさぞ綺麗だったでしょう…。
次に行くのは出丸です。佐倉城は本丸の西と南に出丸があり、本丸の防御を担っていました。
まずは西側の出丸へ。すぐ近くに駐車場があって便利。
水堀の向こうに木が茂っている様は中世城郭っぽいですね。
出丸へは土橋が架かっていますが、江戸時代は木橋だったようです。
ここには佐倉城唯一の現存建築物である薬医門があります。
ただし、この薬医門は城のどこにあったのか分かっておらず、あくまで伝佐倉城薬医門の模様。
出丸内はこんな感じ。土塁に囲まれており展望はありません。
次は南の出丸に行くのですが、こちらには駐車場がありません。西出丸から歩くのが良いと思います。
こっちは西出丸に比べて木が少なく近世城郭っぽい外観。
中も解放感があって良い感じ。本丸よりは少ないながらも、お花見をしている人がパラパラといました。
土塁から堀を眺めます。何の変哲もありませんが、すごい城っぽくて好きな光景です。
南出丸の東にも堀が続いていましたが、今では田んぼ化しています。
内側には土塁と桜並木が。奥の住宅地のあたりはかつて鷹匠町という武家屋敷でした。
これで佐倉城はほぼ一周完了。武家屋敷も見ようと思いましたが……疲れたのでキャンセル。穏やかで良い一日でした。
感想
佐倉城は11万石の譜代大名の居城だけあってかなり見ごたえがありました。石垣こそ使われていないものの、堀の深さは空堀としては最大級レベルですし、水堀もきちんと備えられています。
惜しいのは建築物が殆どない点。城跡は良好に残っており、古写真もあるので一部の門や櫓は十分復元できると思います。水戸城でも感じたのですが、やっぱり建物があるとグンと城っぽくなるんですよね。全国的に復元ブームですし……頑張れ佐倉市!佐倉市民じゃないけど私は復元事業を応援します。
おわり