転がる五円玉 ~旅と城と山~

旅行や登山の記録を書いていきます。不定期更新 同人誌通販はこちら! https://korogaru5coin.booth.pm/

小笠原旅行 その4 ~静沢の森とロース記念館・母島から父島に戻る~

前回も書きましたが、母島は都道241号が南北に貫くほかは集落と農業用の小道しかありません。都道を南下していると、いかにも農業用と思われる小道があったので興味本位で行ってみましたら。

すると、目の前に現れたのはカカオ農園。

f:id:harimayatokubei:20201116151513j:image

ほぉー……日本でカカオってできるんですね……。日本でカカオを作るのは相当に難しいはずです。

というのもカカオは、一年通して平均気温27℃、排水の良い土壌、適度な降雨、日除けの樹も必要、と育てる条件が多い植物なのです。土壌以外はビニールハウスを使えば解決できますが、だからといって採算が取れるかは別問題。

ただ、カカオは栽培地によって味がかなり変わるので、日本産カカオも一部には需要があるのかもしれません。

ちなみに、2019年からは母島産カカオを使ったチョコレートが市販されているようです。私は一応過去にカカオに関する同人誌を出しているので、買ってみてもいいかもしれませんね。

 

そんなカカオ畑のある道を進んでいくと、突然道が終わりました。

f:id:harimayatokubei:20201116151508j:image

普通は道が終わるときはダートになって徐々に草にのまれていく……という感じですが、ここはガードレールによってスパッと終っています。離島にありがちな道です。伊豆諸島にもこういう突然終わる道は結構あって愛好家もいるらしい。

 

再び道を南下して静沢の森遊歩道までやってきました。昨日夕陽をみた所です。相変わらず海が美しいですね。
f:id:harimayatokubei:20201116204737j:image

伐採されたタコノキとおぼしき山を尻目に遊歩道に入ってみます。

f:id:harimayatokubei:20201116205009j:image

うーん、ちょっと荒れ気味。まぁ長ズボンと靴を履いているなら大丈夫でしょう。
f:id:harimayatokubei:20201116204828j:image

と、まぁこんな感じの自然たっぷりな道をザクザク歩いていると、またまた戦跡が出てきました。

45口径十年式12cm高角砲です。前回見たものと同じ大砲ですね。
f:id:harimayatokubei:20201116204854j:image

周囲には朽ち果ててつつある看板も落ちていました。
f:id:harimayatokubei:20201116204906j:image

内容は以下の通り。

当地周辺には、旧海軍の父島方面特別根拠地隊母島警備隊の施設として「静沢101高地防空砲台」が置かれていました。

この砲台は昭和19年(1944)9月以降に建設され、十年式十二糎高角砲3門(原型を留めているのは1門)や九六式二十五粍単装機銃(各架台の残骸のみ残存)が確認できます。

 硫黄島の戦いで有名な栗林忠道中将が小笠原方面軍に着任したのが1944年6月なので、それ以降に建設されたことが伺えます。

ちなみに硫黄島を占領した米軍は父島・母島を素通りして本土空襲を実施しました。そのため、母島に配置された将兵は米軍とは戦わず、壮絶な飢餓と戦ったと記録されています。

 

砲台を後ろから見ると海をしっかり見据えていることがよく分かりますね。先に見えている島は向島です。方角的には沖港に入ろうとする敵を撃つための砲台だったのでしょう。

f:id:harimayatokubei:20201116204914j:image

砲台を離れて遊歩道を歩いていくと別のコンクリートでできた陣地もありました。こちらはおそらく単装機銃のものです。
f:id:harimayatokubei:20201116204858j:image

ここからの景色も素晴らしい。おそらく75年前もほぼ同じ風景だったのだと思われます。
f:id:harimayatokubei:20201116204748j:image

 

15分ほどで遊歩道を歩いてから原付を走らせて沖村周辺に戻ってきました。

次にやってきたのは脇浜なぎさ公園。沖港にある公園です。

f:id:harimayatokubei:20201116204820j:plain

野外ステージや小さな砂浜もあって結構広々としています。祭りなんかもここでやるのかもしれません。

 

公園からは港を一望できます。この写真だけ見るとごく普通ののんびりした離島って感じですね。
f:id:harimayatokubei:20201116204809j:image

公園を通って奥にある鮫ヶ崎展望台へ。

f:id:harimayatokubei:20201116204732j:image

沖港を一望できます。
f:id:harimayatokubei:20201116204753j:image

湾の出口と沖の島々もよく見えています。こうして見ると、母島は孤島ではなく沢山の島で囲まれていることがよく分かりますね。流石は「母島」です。
f:id:harimayatokubei:20201116204941j:image

展望台でおなじみの方位板も設置してあります。まぁ無人島しか見えませんがね。ちなみに冬はクジラをここから見れたりするようですよ。
f:id:harimayatokubei:20201116204934j:image

 

さて、そろそろ時刻は12時です。原付を返却するために島の奥の佐藤給油店に向かいましたが……なんと昼休憩中でした。13時の開店を待っていたら船に間に合わないので、給油せずに返却。追加500円でいいとのことで助かりました。宿の主人ありがとう。

 

徒歩で宿に戻る途中でロース記念館にやってきました。
f:id:harimayatokubei:20201116204744j:image

小笠原村郷土資料館と書かれてある通り、歴史に関する展示が多い場所です。この記念館の建物自体も1913年に港に砂糖貯蔵庫として建設されてから郵便局や農協の売店として利用され、1992年に現在地に移築され記念館として開館した歴史があります。

つまり築107年。石造りの頑丈な建物だからか殆ど劣化を感じません。ちなみに都指定有形民俗文化財でもあります。
f:id:harimayatokubei:20201116204802j:image

ロース(ロルフス)の銅像もあります。ロースは捕鯨船の船員として母島に来島したのち、1869年に定住して母島の発展に尽力した、と伝わる人物です。
f:id:harimayatokubei:20201116204903j:image

ご存じのように小笠原は本土から遠く離れているため、19世紀半ばには欧米系住民の方が遥かに多かったようです。その後、欧米系住民も日本に帰化し、日本人も続々移住してきて現在に至っています。

ja.wikipedia.org

 

このロース記念館の壁で使われている肌色の石はロース石という凝灰岩の一種で、ロースが発見したと言われています。

屋外にはそのロース石を使った洗面台があります。凝灰岩はザラザラした質感の石で、軽くて柔らかく加工しやすいため離島では重宝したのでしょう。
f:id:harimayatokubei:20201116204740j:image

屋内にもロース石を使った家財道具が展示してあります。どれもこれもロース石。母島での生活はロース石無しでは成り立たなかったのでは?ここまで活躍しているとロース石を発見したロースの銅像が作られるのも分かります。
f:id:harimayatokubei:20201116204956j:image

館内には古写真も展示してあり、ロース屋敷の写真もありました。

f:id:harimayatokubei:20201116205000j:image

おお、思ったより小さいですね。手前にあるのは畑でしょうか。当時の離島生活の厳しさが伺えます。多分19世紀末頃の写真です。

また、カツオを持った子供の写真もありました。こちらは多分20世紀の写真です。
f:id:harimayatokubei:20201116204921j:image

子供の服装や後ろのごちゃごちゃした様子からそれなりに豊かになっているようですね。

昭和初期の小笠原は、漁業や冬かぼちゃで当時の平均年収の3倍超の所得があったようです。こういう離島や僻地の住民は結構高所得であることがあるので侮れませんね……。

 

ちなみに、ロース記念館の目の前にはロース石の切り出し場跡があります。
f:id:harimayatokubei:20201116204953j:image

こうした遺跡を見ると、ロース石を切り出す当時の島民の姿が目に浮かんできます。こういう風に歴史を実感できるのは、実地での楽しみですね。

 

時刻は既に13時。母島での観光は終わりです。海も森も綺麗な島でしたが、静かであることが最も印象的でした。森や海はもとより、集落内であっても殆ど無音です。唯一生協と港で車の音がするくらい。この静けさは現地に行ってみないと分かりませんが、色々と歩い自分の足音だけが響くのは中々新鮮でした。

 

宿の車で港まで送ってもらいます。クジラの巨大モニュメントがある待合室で帰りのチケットを購入。
f:id:harimayatokubei:20201116204842j:image

12時45分に乗船開始です。ちなみに昼飯は待合室の売店で買ったパンを食べました。
f:id:harimayatokubei:20201116204846j:image

船の甲板から沖村を眺めます。こうして見ると本当に小さい島ですが、家々と道路が立派で全体的に裕福であることがなんとなく伺えます。民間人が住む島としては南東端にあるので日本政府も重要視しているのかもしれません。
f:id:harimayatokubei:20201116204757j:image

13時に出航。コロナ禍なので見送りもまばらですねぇ。ちょっと寂しい。
f:id:harimayatokubei:20201116204918j:image

さらば母島。とにかく静かでいい島でした。次は1泊ではなく1週間くらいいてもいいかもしれません。
f:id:harimayatokubei:20201116204925j:image

船内では相変わらずみんな寝ています。
f:id:harimayatokubei:20201116205013j:image

行きは爆睡していたので帰りはちょっと甲板に出てみました。
f:id:harimayatokubei:20201116204835j:image

母島方面には巨大な入道雲があります。いやぁ、夏ですねぇ。
f:id:harimayatokubei:20201116204832j:image

反対は茫漠とした太平洋が広がるのみ。
f:id:harimayatokubei:20201116205005j:image

ははじま丸は小さいからおがさわら丸よりも海が近いのがいいですね。しぶきがかかるくらい波を体感できます。
f:id:harimayatokubei:20201116204945j:image

純粋で真っ青な海と空が美しい。

 

このまま永遠に航海していたいくらい……と思ったら船酔いしました。オエー、油断した……。船室でおとなしく寝ます……。

 

出航から2時間後、おがさわら丸が停泊する父島に到着しました。
f:id:harimayatokubei:20201116204851j:image

取り合えず宿にチェックインしてから夕陽でも眺めに行こうと思います。

 

つづく

harimayatokubei.hatenablog.com

 

本日の行程