転がる五円玉 ~旅と城と山~

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小笠原旅行 その3 〜母島縦断・北港の集落跡へ〜

夜はクーラーをつけるほどでもない快適な気温でした。8時間寝て朝6時に起床。

本日は14時のははじま丸で父島へ帰る予定なので、昼前まで原付で母島めぐりをします。

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今日も南国らしいいい天気!昨日よりも雲が少なくて太陽の日差しが強いので日焼け止めは必須ですね〜。
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ここで母島についてちょっと解説。母島は南北約12㎞の細長い島で、人口450人。今では沖村が唯一の集落ですが、かつては北港に北村が存在しました。

母島を南北に通る都道241号は北村跡地が北の終点です。

今日はまず都道241号を北上して北村跡地へ。その後、都道沿いの観光地をめぐります。

 

上に書いた通り集落は沖村しかないので、水とちょっとした食料を持っていざ出発。

気温は30℃で原付で走るとちょうどいいくらい。実に快適で素晴らしい気候です。

 

集落から15分ほどで新夕陽が丘という場所に着きました。
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前回も書きましたが、その名の通り西の空が開けている夕日のスポットです。実はこの都道241号はだいたい森の中を通るので、視界が開ける場所はここくらいしかありません。
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ちなみにこの地点の道路はこんな感じ。幅員は狭めですが、舗装はバッチリです。
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そのまま北へ走っていき、9時15分頃に北港付近に到着しました。
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都道の北端なので、これより北に行くには徒歩しかありません。
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東屋があり一応の設備は整っています。しかし電波は入らないし自動販売機もありません。
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東屋からはかつての北港が眺められます。
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沖にはシュノーケル中と思われる人影がありました。駐車場にあった車の主でしょう。

 

ごつごつした砂利が混ざる桟橋は今でもしっかりと残っています。多分戦前のものだと思うのですが、こんなに残るものなんですね。
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それにしてもとにかく水が綺麗。写真だと伝わらないのですが、湾の奥の方まで水が透き通っています。
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周囲には穏やかな波の音しか聞こえません。10分ほどの滞在でも癒される、とても静かでのんびりする場所でした。

 

さて、次は北村跡地観光です。

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北港からまっすぐ伸びる都道241号はかつてのメインストリートだったそうな。

それに関する看板によると、戦前は600人近い人が住んでいた模様。確かに湾内の波も穏やかだし、谷底にあるので風も弱く住みやすそうな所です。
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ではなぜ戦後の沖村は復興したのに北村は人が戻らなかったか……?私見ですが、港がいけなかったのではないでしょうか。上の写真にある北港は遠浅で左右は断崖になっている印象でした。このため、大型の船舶が入れず北村は放棄されたのだと思います。

当時は家々が立ち並んでいた場所も全て森に還っています。そんな中で、唯一当時の面影を残しているのが北村小学校跡です。
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入口からしてガジュマルが繁茂してすごいことになっていますね。
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中はこんな感じ。木が立っていないあたりは当時のグラウンドだったらしい。
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広場の片隅には朝礼台とおぼしき構造物が残されています。この他は何もありません。少なくとも私が見る限りは。

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村が放棄されて75年経つとこんなになってしまうのは当然と言えば当然かもしれません。私たちの暮らしは自然の表面にあるだけなのを痛感します。


さて、北村を出て次はすぐそばにある東港に行きます。
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北村からはすぐそばなので、5分ほどで東港に到着しました。
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1985年までは捕鯨基地として運用されていたようですが、今では避難用として維持されているようです。GoogleMapを見れば分かるのですが、母島の東岸にはこの東港しかないからでしょう。


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ま、そんなことはともかく、海の色がすごい。鮮やかなターコイズブルーは目に眩しいほどです。

 

岸壁の奥までやってきました。
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むむ、海の向こう側を見たいのだけれど岸壁が3m近くあって登れない……。
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と思ったら謎のはしごがありました。半分朽ち果てていますが意外と頑丈そうなので登れそうです。
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えっちらおっちら登ったら岸壁の上に先客がいてびっくり!岸壁が思ったより厚く気がつかなかったようです。
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いやそれにしても海の青いこと。

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宝石のようにキラキラ輝いています。人生でも一番というレベルの綺麗さ。
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いわゆるサンゴ礁ではなく、白い砂が海底にあるためこういう色になっているのでしょう。辺り一面ここまで鮮やかに青いというのはちょっと経験が無いですね……。

湾内もすごいをしています。

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あー飛び込みたいなぁ!!でもシュノーケルセットも水着も無い!!残念!

名残惜しいけれど船の時間があるので東港を去りました。

 

都道を南下すると途中の広場から東港を見下ろせます。いや本当に良い色してます。母島No.1かもしれませんね。
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ちなみにこの付近には謎のかんきつ類の樹がありました。レモン……?だとしたら野生でしょうか。うーむ謎だ……。
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引き続き都道を南下します。
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10時頃に砲台跡地入口に到着。この先に旧日本軍の砲台があるというので行ってみます。
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ご丁寧に看板まであって迷うような道ではありません。
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しかし道中はガジュマルの樹を潜ったりと結構ハードです。
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なんとなく固有種っぽい雰囲気を出しているこのシダはケホシダです。本州でもよく見る種ですね。
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このように小笠原に生えているとは言っても全部が全部固有種という訳ではありません。でも世界遺産なので採取は当然NGです。

 

その後も森の中を歩いていくと……
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突然武骨な砲台が目に入りました。
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うおっ、思ったよりデカい!砲身だけでも5mくらいはありそうです。

これは45口径十年式12cm高角砲で、簡単に製造できることから戦争中が2000基以上も量産された大砲です。
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半分朽ち果てつつもかなり良好に残っています。戦前の機械の頑丈さは恐ろしいものがありますね。

ちなみに他にも全く同じ大砲が2基残っています。全部見ても15分程度。道ははっきりしていて迷うことはありませんが、道から外れると十中八九迷うので注意です。

 

原付を走らせて次に着いたのは探照灯基地跡。
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こっちは道のすぐ脇に遺構があります。
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暗い穴の中を覗き込むと探照灯が半分朽ち果てつつ残っていました。
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中に踏み込むのはちょっと躊躇われる雰囲気。しかし、穴の中にあるのに砲台よりも損壊が激しいのはなぜでしょうかね?

こうした戦跡を見ると、かつての兵士の面影を見るようななんとも言えない気分になります。75年前の今まさにこの場所に兵士がいて空腹に耐えながらも役目を果たしていた事実を思うと、のんびり観光できる自分は本当に幸せです。

 

探照灯基地から10分ほどで峠のような場所に着きました。
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なんとも言えない文字でビックベイと書かれています。どうやらこの下にあるようですが、降りる道は無いとのこと。
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と、ここで足元にカタツムリを発見。
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これ……もしかしなくても外来種のアフリカマイマイですよね。体長10㎝程度はあります。とてつもなく大きい。

ちなみにアフリカマイマイにいる寄生虫は髄膜脳炎を発症させるかなり危険なものです。なのでこのカタツムリを駆除するには踏みつけるしかありません!

……実際に何をやったかは書きませんが、ここまで大きいカタツムリを踏むと流石にSAN値が下がりますね。オエ~。

 

ビックベイから5分ほどで桑の木山に到着しました。
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ここにも遊歩道があるようで、入口には昨日南崎でも見たブラシが置いてあります。

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ここにはかつて固有種のオガサワラグワが沢山生えていたようですが、戦前に持ち込まれたアカギによって侵略されてしまい、今では殆どクワは生えていないようです。
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このあたりの事情は下記論文で詳しく書かれています。

http://ogasawara-info.jp/pdf/h15_houkoku1/05_h15_1.pdf

ここ数十年でますますアカギが生息域を増やしているというのは驚き。なんとなく現在は外来種の侵略は止まっていたイメージだったのですが、種類によってはそんなことないのですね。

 

ちなみに桑の木山の奥まで行こうとしたけれど巨大なシダが道を覆っていたのでやめました。藪漕ぎする覚悟はちょっとありませんでした。

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時刻は既に11時前。そろそろ集落付近まで戻ろうと思います。

つづく

harimayatokubei.hatenablog.com

 

今回訪れたところ

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