冬のハンガリー温泉旅 その14 ~欧州最大・ドハーニ街シナゴーグ~
泳ぎはカロリーを使うので、昼飯でカロリーを補給しなければなりません。と、いうわけで昼飯はこちら。
BRUTAL BRUTUS(粗野なブルータス?)というマックのハンバーガーです。今回の旅行中、この看板を頻繁に見かけたためかなり気になっていました。カロリー満載の見た目をしていますし、今日の昼飯にぴったりでしょう。
ブダペスト西駅のマックに到着。この駅も東駅と同じように、ガラスと鉄骨を全面に押し出したデザインです。
駅構内にあるマックへ。
おお~。なかなかすごいですね。このブダペスト西駅のマックは豪華な事で有名なのです。
まぁ豪華とは言っても天井と壁がすごいだけで座席は普通のマックです。
結構な混雑の店内でどうにか席をみつけて、ブルータル・ブルータスを買ってきました。一人3300フォリント(≒1440円)。マックにしてはかなり高い。
なぜか4つあるのはただの注文ミスです。まぁ1個くらい多くても食べきれるでしょう。
それはそうと早速食べますか。
ぐおお……上からベーコン・パティ・ハッシュドポテト・オニオンリングと恐ろしいまでのカロリーコンボ。オイオイオイ、これ全部食べるの?買った事を2口で後悔してきました。1個食べるのも精一杯……。
余った1個は3人で丁寧に分割してなんとか完食。オエップ。25歳だから耐えきれた。26歳の胃袋だったら耐えきれなかったもしれません。
新年一発目の昼飯をマックを食べたら次の観光地に行きます。
ブダペストの中心部にあり異彩を放つこの建物はドハーニ街シナゴーグです。1859年完成。
直線的かつ幾何学模様を中心としたデザインはイスラム教建築をモデルにしたムーア様式です。欧州の建築とは異なり、「柱」をデザインとして全く強調しておらず、ハンガリーの街並みから浮きまくっています。
ただ、2本の塔付近はビザンティン、窓が少ないのはロマネスク、バラ窓のような丸く大きな窓はゴシックらしさもあります。
いくつもの様式が混在している上に、門の上にあるヘブライ語が否が応でもキリスト教と異なる文化の建築であることを主張しているようです。
まずはチケットを購入。
チケット売り場後ろのアーチも柱らしさは取り払われて、柱部分はアーチの一部と化しています。
一人5000フォリントで入場。マーチャーシュ聖堂の2倍以上もするとは。さすがユダヤ人、抜け目がない。
また、観光客にはキッパと呼ばれるユダヤ教の帽子が与えられ、見学中は着用が求められます、
まぁコピー用紙製のちゃちなものですが、被っていないと信者の方に怒られます。内側にあるヘアピンで留めるのですが、髪が少ない方はどうするのでしょうか?
ここの見学は一応各国語のツアー別に行動する事になります。私たちは当然英語組で参加。
枠の大きさにしては小さなドアを通って入場します。
まず驚くのが中の大きさ。3000人収容とのことですが納得です。広い。
柱を強調するキリスト教の教会と違い、内部の柱も細く目立ちません。
むしろ、正面や天井のアーチが印象的です。
全体的な色彩も黒・金・赤で構成されています。これはもう欧州ともイスラムとも異なり独特の一言。個人的には、目黒雅叙園のような雰囲気さえ感じました。
壁の塗装を除くと全滝的に装飾は少なく、幾何学的な模様に終始しています。植物や動物、人物の模様は一切ありません。
奥にはひときわ視線を集める聖櫃があります。これだけが白と金で塗装されており、非常に目立ちます。
この中にはトーラー(モーセ五書)が収められているようです。
ちなみに、聖櫃の上にあるドームは4つのペンテンティブを持ちオスマン建築風になっていますね。
奥にある聖櫃から入口を振り返るとこんな感じ。照明が目立つ位置にいくつもあることも印象的ですねぇ。
とにかく掴みどころの無い、言葉に表しにくい建築です。縦長で、中央に身廊があり左右に側廊がある全体的な構成はキリスト教の教会と同じですが、他の装飾は全く隅から隅までイスラム風なのです。
さて、シナゴークには資料館も付随しており自由に見学できます。
ユダヤ人が持っていたマンテル時計。
ユダヤ教の施設でよく目にするこの燭台はメノーラーというようです。
これは1600年代の墓石です。かつてのユダヤ人の所有物が淡々と紹介されている感じで正直退屈。
が、途中から空気感が変わります。
これは……第二次世界大戦中にユダヤ人が服に貼り付けることを強要されたダビデの星のワッペンです。右の解説には「1941年~1945年に50万人が虐殺された」と書かれています。
シナゴーグを訪れるならば、ナチスドイツによるホロコーストの話題からは避けて通れません。
戦前のハンガリー王国には90万人のユダヤ人がいましたが、そのうち50万~60万人(!)が虐殺され、現在のハンガリーにおけるユダヤ人人口は8万人となっています。
第二次世界大戦における日本人の死者が300万人なので、この5,60万人という数字が如何に大きいかよく分かります。それだけの人数が戦争という(ある意味では誰にも止められない命の取り合いではなく、人間の手によって殺されたとは……。
日本ではホロコーストはあまり実感できませんが、やはり事実として戦慄せざるを得ません。
木が茂る中には墓碑がたくさん置いてあります。
よくよく見ると、全部1944か1945の墓碑ですね……これは結構キツい。ドイツ人は針のむしろなのではないでしょうか。
シナゴーグの見るべき所は見終わったので非常に神妙な面持ちで裏口から外に出ました。
この辺りはかつてのユダヤ人街で当時のアパートなどが残されています。
今では誰も住んでいない模様。
ま、ご覧の通りだいぶうらぶれてる雰囲気です。今では廃墟風バーやクラブが立ち並び若者が集まるエリアになっているようですが、まだ午後2時なのであまりそういう盛り上がりはありません。
ただ、そんな雰囲気の街角に突如としてシナゴーグが現れたのでビックリしました。
キリスト教の教会と違って、ビルの並びにはまっているので違和感がすごいのです。日本でも寺がビル内にあって違和感を感じるときがありますが、それに近い感覚です。
おそらくユダヤ人は密度の高い都市部に住むので、こういう形式になったのでしょう。こういう所からもユダヤ人街の文化の違いを感じました。
さて、次はブダペストで最大の教会である聖イシュトバーン大聖堂に行きます。
つづく
今回訪れたところ