冬のハンガリー温泉旅 その3 ~エゲル市内観光・エゲル城を巡る~
3朝10時すぎだというのに随分と陽が低い。まるで夕方のようです。気温も5℃くらいでしょうか?結構底冷えする感じです。
エゲル温泉の横には温泉公園(Gyógypark)があり、その中央には泉が湧いています。
おっ、ここだけやけに人が多い。
ちょっとだけ飲んでみましたが、うーん?普通の水……ですねぇ。まぁこれだけの人数が汲みに来ているという事は良い水なんでしょう。多分。
引き続き街の中心部に向かって散歩。川沿いの街路が良い雰囲気です。でも右側のアパートが旧共産圏っぽい。
このエゲルという街、歴史が古いため中々に道が複雑です……が、教会の塔がずっと見えているためあまり迷いません。
と、いう訳で中心部のドボー・イシュトバーン広場に到着。
広場の名前にもなっているこちらの方はドボー・イシュトバーン。一言で言えば、オスマン帝国からエゲルを守った英雄です。
かなりどうでもいいが、「イシュトバーン」という苗字はめちゃくちゃクールだと思う。
このあと行くエゲル城で散々出てくるのでここでは割愛。
ちなみに、ハンガリーではアジアと同じく苗字・名前の順番です。例えばFateにも出てくるエリザベート・バートリーはハンガリー読みだとバートリ・エルジェーベトとなります。
さて、広場にはパドヴァの聖アントニオ教会が鎮座しています。1771年の建築。
非常に端正なバロック様式の教会です。周囲の直線的な建物が多い中で、曲線と楕円主体で構成されるこのファザードが上品に存在感を主張しています。
しかし、柱頭に天使の顔面がくっついているデザインはよく分からん……。
内部も実にゴシックらしい派手なフレスコ画で彩られています。
特に正面の祭壇は圧巻。
天井には聖アントニオの一生を描いたフレスコ画があります。
これは魚の奇跡ですね。この聖アントニオという人は説教がとてつもなく上手かった事で有名な聖人で、この魚の奇跡もその能力に由来した画です。
ある時リミニの街を訪れた聖アントニオは街の人に説教をしようとするが、心無い市民から妨害を受けた。仕方なくアドリア海に向かって説教をしたところ、なんと魚たちが聖アントニオの説教を聞き入ったのである。
という奇跡です。
いやしかし、どっちを見ても絵画だらけ。キリスト教の素養がないと全部は理解できないのが勿体ない。
この祭壇周辺、なんだか獣臭いと思ったら羊がいました。
なぜかは不明。
左右の壁にはフレスコ画ではなく、おそらく通常の油絵と思われる絵画もあります。
ドラマチック性が高い絵です。イエスを下ろしている人はアリマタヤのヨセフかな?
ちなみに、十字架の上にある「INRI」はIESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM(ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という意味です。
このエゲルという街は歴史はありますが、人口5万人の小さな街でもあります。そんな街にここまで立派な教会があるというのはちょっと驚きでした。
さて、次に行くのはエゲル城。ハンガリー王国対オスマン帝国の舞台となった歴史ある城塞です。
高台にあるので既に城壁が見えていますね。
いかにもヨーロッパの田舎町といった風情の通りを歩きます。派手さはないけれどメルヘンな雰囲気。
教会から5分ほどでエゲル城に到着しました。
うーん、これは中々すごい。いかにも頑強そうな中世の城です。
正門の右側には1552年のエゲル包囲戦(ハンガリー王国対オスマン帝国)のレリーフがあります。
この戦いの背景を3行で説明すると
- オスマン帝国がハンガリーに侵攻してきた
- 1526年のモハーチの戦いで国王が戦死するレベルの大敗北を喫する
- その後、順調に侵略されてハンガリー王国の南部と東部はオスマン帝国に占領された
という状況で、1552年にハンガリー北部の重要都市エゲルにもオスマン帝国軍がやってきました。
オスマン帝国40000人に対してハンガリー王国軍は3000人弱。あっけなく陥落するかと思いきや、籠城側の高い士気・豊富な物資・ドボー=イシュトバーンの指揮・エゲル城の堅さ・思ったより早い冬の到来、といった複合的な要因により予想外にハンガリー王国軍が勝利をおさめました。
この出来事により、ドボー・イシュトバーンとエゲル城はハンガリーの愛国的なシンボルになったのです。
ちなみに、この包囲戦の際に雄牛の血という有名な逸話が生まれています。
ドボー・イシュトバーンが士気を高める為にワインを兵士に振舞った。すると赤く染まった口ひげや服を見たオスマン帝国の兵士が「ハンガリー人は牛の血を飲んでいる!!」と勘違いして恐れおののき、遂に撤退したのであった。
という事があったようです。この故事から名付けられた、エグリ・ビガヴェールEgli Bikaver(雄牛の血)というワインはエゲルの名産でもあります。
なお、ドボー・イシュトバーン没後の1596年には再度の包囲を受け落城。エゲルは1699年のカルロヴィッツ条約までオスマン帝国支配下に置かれることになりました。
そんな訳で、エゲル城はハンガリー内では有名な城だったりします。
ただ、個人的にはこの城の一押しポイントはそのビジュアルです。
高い城壁に小さな窓、そして胸壁。まさにイメージしていた中世ヨーロッパの城そのまんまじゃないですか!!結構な興奮ポイントです。
イスタンブールやローマで都市の城壁は見たのですが、こうした城塞は中々見る機会が無かったので嬉しい。
1700フォリント(≒680円)払って入場。中の博物館にも入れるようです。
まずは城壁内の階段を上ります。
この階段は木でできているのがミソですねぇ。戦いになったら落とす事で的の侵入を阻めるのでしょう。
城壁を登り、まずは城の中央にある高台に登ります。
まぁ高台とは言っても高さ5m程度なのですぐに頂上へ。
ここからの景色が素晴らしい。エゲルの街を一望できます。
いや~~~~これはいい~~~~ですね。本当にいい景色。
古色豊かな建築がひしめき合っている様子がよく分かります。
パッと見ただけでも城に近い手前に古い建物が多く、左奥あたり(温泉の方)は新しいビルが建っていることが分かります。
よくよく考えると、ローマ城壁やコンスタンティノープルのテオドシウスの城壁と違って、街自体を守っているのではなく、あくまでエゲル城ありきで城下町が形成されているのは面白いですね。城というよりは要塞的な側面も強い感じです。
高台を降りてから再び城壁へ。
下に見えている道を先ほど登ってきました。こうしてみると道を登る間に城壁から弓矢で攻撃されることが分かります。日本の城と同じですねぇ。
この城壁は薄い一層のものではなく、複雑で枡形虎口のようなものまであります。
詳細な地図が無いのが惜しい……。
ちなみに、現在のエゲル城はこんな感じです。
右が私たちが登ってきた道ですね。
さて、城内には司教の館と教会跡があります。
この教会は結構立派だったらしい。下は中世当時の想像図です。
現在の教会跡。壁のごく一部が残っており、当時の雰囲気を忍ばせます。
柱の立派さからしてもかなり大きかったよう。残っていたらさぞ素晴らしかっただろう……。
教会の脇には中世当時からの司教の館が残っています。上の想像図にもあります。
大きな屋根が特徴的なシンプルな建物です。
1階の縁側部分のリブヴォールトが綺麗。
窓枠にすら歴史を感じます。
中はドボー・イシュトバーン博物館になっており、エゲル城に関する展示が幾つか展示されています。
下は16世紀当時のエゲルの様子。エゲル城とちょっとした集落があるのが分かります。
出土したコインや十字架。
教会に置いてあったとされるレリーフ。
1552年の攻城戦の想像ジオラマもあります。オスマン帝国軍がお得意のトンネル侵入戦法を試みているのがよく分かりますね(地下に岩盤があり結局失敗している)。
オスマン帝国軍に大砲を向けるハンガリー軍。
オスマン帝国に侵略されている当時のハンガリー王国。緑の部分が占領地です。既に王都ブダペストも陥落しており、周辺地のみが残されていることが分かります。
結局、1690年にオスマン帝国はハンガリー王国から撤退するのですが、その後もハンガリー人の王ではなく、ハプスブルク家の皇帝がハンガリー王国をついでに統治するようになります。オスマンの次はハプスブルクとハンガリー人にとっては支配者が変わっただけだったのかもしれません。
30分程度で全部見終わりました。解説は全部ハンガリー語と英語ですが、ジオラマや模型の展示も多く結構楽しめます。おすすめ。
博物館を出てからも城壁を歩いてみます。
やはり景色が良い。
手前に見えているのはミナレットです。オスマン帝国時代にモスクが建てられたものの、肝心のモスクは解体されミナレットだけが残存したものです。後で行きます。しかしこうして見るとエゲルの街が盆地にある事がよく分かります。そりゃあ冬は底冷えする訳だよな……。
鉄砲狭間も当時のまま城壁に開いています。
城壁を半周したら入口まで戻ってきたのでそのまま退出。
ところで、このエゲル城なんですが所々で城壁が壊れています。てっきりオスマン帝国によって破壊されたのかと思いきや違うらしい。
どうやらハプスブルク帝国によって壊されたようなのです。18世紀当時、ハプスブルク家の支配下にあったハンガリーでは地元民の反乱(ラーコーツィの独立運動など)が多発しており、その拠点となるのを未然に防ぐためハンガリー中の城が破壊されたとのこと。
この構図は島原の乱の後に江戸幕府が日本中の使われていない城を破壊したのとそっくりです。歴史は繰り返されるというか、どこもやる事は変わらないという事が良く分かりますねぇ。
さて、エゲル城を出てからは、街のもう一つの教会と「美女の谷」に行きます。
つづく
次回
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