冬のハンガリー温泉旅 その4 ~エゲル大聖堂と美女の谷でワインの回~
引き続きエゲルの街を歩きます。
街角ではこのような木彫りが目に付きます。
中々コミカルで良い出来ですねぇ。この地域の風習なのかは不明。
さて、城から5分ほど歩くとミナレットが見えてきました。
このエゲルのミナレットはオスマン帝国時代のモスクに付随していました。1600年代初頭の建築。オスマン帝国撤退後、1841年にモスクは解体されてしまい、ミナレットだけが現在まで昔の記憶を留めています。
高さは40mと結構あります。赤い砂岩でできているためか黒っぽいですね。
実はエゲルのミナレットは「旧オスマン帝国の領土に残された最北のミナレット」だったりします。これより北にあった他のミナレットは過去の象徴として全て取り壊されたのです。
このミナレットも他のミナレットと同じく取り壊されそうになりました。が、400棟の雄牛で引っ張っても倒れず、三日月の上に十字架を設置することで残された(というか放置された)いきさつがあります。
先端を見ると、今でも三日月と十字架があります。
装飾はイスラム建築らしく実にシンプル。幾何学的な模様が描かれており、クールな印象です。
実は今でも登れるらしいのですが・・・・・・冬期休業中。残念。
ミナレットを離れて次の教会へ。途中の街角にはやけに瀟洒なマクドナルドがあります。
これに限らず、街全体に伝統的な建物が多い雰囲気です。街歩きも楽しそうですが、今は冬なので色々な店が休業中。こういうのは残念だなぁ。やっぱりヨーロッパは夏に来る所ですね……。
ミナレットから5分ほど歩くとエステルハージ=カローイ大学に着きます。
資料館があったようなのですが、ここも休業中。うむむ。
その向かいにはエゲル大聖堂があります。エゲル司教の司教座聖堂であり、この地域の中心となる教会です。
円柱が主張する新古典様式です。前回見たパドヴァの聖アントニオ教会よりも100年ほど新しいので、建築様式が全然違いますね(あちらはバロック様式)。
正面から入ろうとしたのですが、階段が崩壊している……!?仕方ないので側面へ。
側面から見ると、中央のドームはビザンチンっぽく、鐘楼はロマネスクっぽくなっているのが分かります。質量感と存在感においてパドヴァの聖アントニオ教会を圧倒していますね。
ん……?よく見ると玄関部のガラスが割れている。司教座聖堂がそれでいいのか。まぁ入れない部分だからいいのか?
横の入口が開いていたので入ってみます。
中からはなにやらオルガンの壮大な音色が聞こえます。
おお?これは・・・・・・??
ミサです。ミサを中でやっていました。
入れはするのですが、写真を撮ってウロウロするのは憚られる雰囲気。司教の声とオルガンの音がガンガン響くまるでコンサート会場です。
15分ほどしたら終了して信者が退出しました。ガチのミサに参加(?)したのは初めてでしたが、思ったよりも非日常感がありましたね。
それはそうと、エゲル大聖堂は中も新古典様式です。
天井に描かれた画も、ドラマチックというよりは軽やかな雰囲気。
このエゲル大聖堂は確かに大きく立派です。ただ、大変失礼な言い方ながらも装飾が全体的に薄い(天井の模様なども全部絵になっている)ためか、荘厳さではパドヴァの聖アントニオ教会よりも一歩も二歩も劣る気がしました。
教会の近くにはこんな感じのモニュメントがあります。
これは1956年のハンガリー動乱の記念碑です。第二次世界大戦後のハンガリーはソ連の衛星国として共産主義の国でした。が、共産主義に反発した国民が全国規模で蜂起して大反乱となります。当時のハンガリーの国旗の中央には「鎌と槌」の紋章があったので、その部分だけを切り抜いたのです。
これに対してソ連は武力介入を行い、反乱は鎮圧されました。この時代のハンガリーは独立国家であるにも関わらず、実質的にはソ連の支配下に置かれていたのです。
1990年以降、ハンガリー動乱は再評価が進み、ソ連の抑圧に対抗した英雄的出来事として記憶れています。
さて、エゲルで最後に行くのは美女の谷。なんでも美女の谷のワインを飲めば誰でも美女になれるというワインの名所です。
たまたま見つけたタクシーで移動。
5分ほどで到着。歩いても20分くらいの近さです。
公園?の入口のような所で下ろされたのですが、
「ちょっと日本人!?ワイン飲みに来たのね!!」
「さあいらっしゃい!!こっちよ!こっちですって!!!」
えっ、いやぁもう少し選びたいなぁ……。
「いいから!!ワイン飲むんでしょ!こっち!!」
と、いう感じのおばさんに連れられて入口から一番近いワイン屋に突入してしまいました。上の写真の左に写っている方です。
中は酒蔵風で悪くない雰囲気。
席に座るとおばさんがワインをドカドカ出してきて、どれがいい?これがいいわ!!的な感じでグラスに注いできます。
断るタイミングもなく一口。
……?んー?美味いのか?これは??
実はこのブログの筆者はわりかし酒嫌いなので味が全く分からないのです。結局3杯ほど飲んで退散。お代は7800フォリント(≒3120円)でした。意外と妥当な値段。
店を後にして奥へ行くと、円状の道と脇に店が並んでいました。
あ~こういう感じか。おそらくは一つ一つの酒蔵が進化してこうしたレストラン的な形式になったのでしょう。
店には番号が付けられています。これは47番ですが、50番くらいまであります。まぁ数件廃業していましたが、これほど多くのワイン屋が密集しているのは驚きですね。
良さげだったので47番に入店。
おお~、さっきとは全然違う(笑)。めちゃめちゃ立派です。
2600フォリント(≒1040円)のボトルワインを注文。酒に興味が無さ過ぎて銘柄を記録し忘れた……。
まぁボチボチに美味しいですね。飲みやすいけれど深味があるというか。
ここでは30分ほど滞在しました。
さて、時刻は午後3時。エゲル駅を4時30分に出る列車に乗るのでまだ時間はあります。ワインばっかり飲んで腹がガバガバなので酒屋ではないレストランへ。
メニュー表の一番上にあった料理を注文。すると出てきたのは……
キタ―――(゚∀゚)―――― !!
優勝セット!!!いや~~~これこそ求めていたものです。最高!!
30分ほど食べて満足しました。ふう……。
さて、駅はここから2㎞ほどなのでタクシーを使いたいのですが……。タクシーがいない。冬のオフシーズンだからか~。
20分ほど探すも見つからない。駅まで2km、列車の発車まであと40分。むむむ、これは走るしかないか!?
歩くとギリギリになるので駅まで走る事にしました。
ジョギング程度の速さで淡々と走るのですが・・・・・・オ、オエッ~~。流石に飯とワインで腹が辛い。ハンガリーの田舎町をえずきながら走る機会なんてそうそうありませんよ。そう思うと貴重な体験に思えてきた。
20分後、なんとか走り切ってエゲル駅には4時10分に到着しました。
既に夕焼けは通り越して闇に包まれています。
駅舎内でブダペスト東駅までの切符(3000フォリント)を購入。今回は行きと違って1回乗り換えがありますが、直行便よりも3分遅いだけだったりします。16時31分エゲル発で18時30分ブダペスト着。
乗換駅までは各駅停車で行きます。
行きとは違って旧式列車ですね。
乗り込みますが、中がびっくりするほど暗い。上映前にCMが流れている時の映画館くらい暗いのです。
まぁ発車したら明るくなるだろ・・・・・・、と思ったら
発車しても暗い。これがデフォルトというのも凄い話です。
太陽は4時頃に沈んでおり、わずかな残照がハンガリーの農村を照らしています。
エゲルを出て17分後、16時48分に乗換駅であるFüzesabony(←読めないwww)駅に到着。ここはハンガリー東部に至る幹線とエゲルへの支線が分岐する駅です。
ホームには売店などもないため吹きさらしのホームで20分ほど待ちます。寒い・・・・・・。
17時07分にブダペスト東駅行きのインターシティ(特急)列車が到着しました。
この列車の経路が少々興味深い。12時23分にブダベスト西駅を出て、東部のデブレツェンに行ってからぐるり回ってブダペスト東駅に戻ります。
日本で言うと新宿を出て、松本・浜松を経由して東京駅に戻るような感じ。どうしてこのような運転経路になったのかは謎です。もしかしたら清掃員がブダペストにしかいなかったりするのでしょうか。
長距離を走る特急なので中も綺麗です。なんと2等車なのにコンパートメント!!これはすごい。
暖房も効いておりかなり快適です。行きの列車とは比べものになりません。
1時間23分後の18時30分にブダペスト東駅に到着しました。
さて、ではブダペストの宿に向かいます。
まずはロッカーから荷物を出して地下鉄駅へ。
流石は首都ブダペスト。人口300万人を抱える大都市です。(ちなみにハンガリー2位の都市デブレツェンは人口20万人)
混雑する地下鉄に乗りアストリア駅へ。
今回の宿はいわゆるホテルではなくアパートに民泊します。Booking.comにて予約。別のアパートに入ってしまったりと苦戦しましたが、なんとか宿主と出会ってたどり着きました。
1泊3000円でこれは中々良いですね。
いや~~しかしとにかく疲れた!!日本を出てから36時間が経過しています。その間に飛行機に乗ったり温泉浸かったり城に登ったりワイン飲んだり・・・・・・。まだまだ夜19時ですが、日本時間では午前2時です。
眠くてたまらないのですが、腹は減っているので下の通りの商店でパンを買って食べてねました。正直この辺は疲れすぎてて記憶が曖昧です。本当に疲れた1日だったなぁ~。
つづく
harimayatokubei.hatenablog.com