冬のハンガリー温泉旅 その10 ~王宮の丘その1 漁夫の砦とマーチャーシュ聖堂~
ドナウ川を渡って、対岸までやってきました。
予想通り国会議事堂がよく見えます。素晴らしい景色。
ん?フェリーからの画像は無いのかって??
いや~それが実は15分ほど待ってもフェリーが来る気配がなかったんです。桟橋の風が寒すぎたので、地下鉄を使って渡っちゃいました。国会議事堂の最寄り駅からわずか1駅です。近い。
朝10時前ですが小腹が空いたのでちょっくらカフェに行きます。
広場の向い側にあるやけに立派な建物は、様々な商店がある市場でした。もちろんカフェもあります。
ラズベリーがかかったヨーグルトとコーヒーです。無難に美味い。
15分ほどで出発。
まず行くのはドナウ川沿いの教会です。対岸からもはっきり見えていたので気になっていたんですよ。
ゴシックというよりは、よりシンプルなロマネスク風の教会です。wikipediaによるとどうやらプロテスタントの教会らしい。しかしそれ以上の情報は得られず。
見ての通りフェンスが張られていて中にも入れませんでした。
この教会で気になったのが屋根瓦です。
美しい幾何学模様を構成する屋根瓦はおそらくジョルナイ工房というハンガリーの有名な陶器工場が作ったものです。非常に東欧らしいエキゾチックな香りがしていいですね。
さて、ここからは丘の上に行きます。ドナウ側の東にあるペストは平らですが、西のブダは丘になっています。
まぁ丘とはいえ高さはせいぜい50m程度。スタスタ歩いてあっという間に丘の上が見えてきました。
すぐ下に到着です。三角形の建物は漁夫の砦です。中世に漁師が住んでいた場所だからこの名前になったそうな。しかし、漁夫という単語を漁夫の利以外で使ったのは生まれて初めてかもしれません。
階段のすぐ下からは丘の上にあるマーチャーシュ聖堂も見えます。砦の三角屋根も相まってメルヘンな雰囲気。
階段の脇には左右それぞれに3体の彫像があります。
アルパード(伝説上のハンガリー建国者)に付き従った人物らしい。ちなみに、漁夫の砦には7つの塔がありますが、これもアルパードと共にハンガリーに移住した七つの部族を表しているそうです。
階段を上がりきると、三位一体広場に出ます。
漁夫の塔に囲まれる位置に聖イシュトバーンの銅像があります。西暦1000年という記念すべき年にローマ法王によって戴冠されたハンガリー王国の初代国王です。
流石に初代国王だからか銅像もかなり立派ですね。
それはそうと、塔の上の廊下がとんでもなく混んでいるんですよねぇ。普通にスリが怖いので注意して登ります。
なんか年末だったからか無料で登れました。というか普段は金取るんですね。
しかし、金を払ってでも登りたい理由はすぐに分かりました。塀の上からは、ドナウ川とブダペストを一望する圧倒的な眺望が展開します。これは素晴らしい。
右に見えるのが聖イシュトバーン大聖堂で、左には国会議事堂が見えています。やはりこうして眺めると、ブダペストがドナウ川を中心にできた街という事がよく分かります。
横を見ると、漁夫の塔と城壁が見えます。三角の屋根がポンポン立っている様子は中々珍妙ですね。しかもよく見るとそれぞれ意匠がちょっとづつ違うようです。
ちなみに漁夫の塔はネオ・ロマネスク様式です。まぁやたらと派手な建築にするよりもブダペストの景観とマッチしているような気がします。
漁夫の塔から眺める聖イシュトバーンとマーチャーシュ聖堂。次は聖堂に行きます。
左側面に周り込んで教会を眺めてみます。青空に白い塔がよく映えて美しい。
それにしても・・・・・・ううーん、やはり塔がデカい!写真に納まりきりません。
バラ窓があったり塔のデザインが直線的であったりと、随所でゴシックを感じるデザインです。
この教会は結構波乱の歴史を辿っています。
①1200年代にベーラ4世によって建造
②1479年にマーチャーシュ1世によって尖塔が増築
③1541年にオスマン帝国に占領されてモスクに改造される
④1686年にハンガリーが奪還し、バロック様式の教会となる
⑤19世紀に元のゴシック様式に復元される
という訳で、800年近い歴史でモスクになったり改造されたりと色々あったのです。
さて、側面にある入口から入場。
柱の上にいるガーゴイルです。犬っぽい。
中は聖堂らしくとても広々としています。
が、それよりも目を引くのが装飾です。普通なら石材そのまんまな柱や壁が全部塗装されています。
こうした植物がからんだ模様はイスラムっぽいですねぇ。
祭壇はよく見る形式ですが、やはり装飾が異様です。ハンガリーらしい特徴がこれでもかと出ていますね。
祭壇にいるのは聖母マリアのようです。これにはちゃんとした由来があって、
聖堂の壁が同盟側の大砲によって破壊された際に、古い奉納されたマリア像が壁の奥に隠されていたことがわかった。その時中で祈祷中だったオスマン帝国のイスラム教徒の前にこのマリア像が現れたので、彼らブダ駐屯軍の士気は崩れ、この日ブダは陥落しオスマン帝国の支配が終わった、という。このことから、マーチャーシュ聖堂は「聖母マリアの奇跡があった場所」とも呼ばれている。
とのこと。Wikipediaより。
側廊はこんな感じ。
柱に巻いているものは説教壇です。これだけロマネスクな雰囲気。
壁や天井の模様もいいのですが、個人的には床のパターンも好きです。
色合いが柏駅前のペデストリアンデッキに似ているような……。
続いて左側の側廊を見ます。こっちには増築された小部屋が3つほどあるようです。
まずは、上の写真の左にも見えている聖ラースロー礼拝堂へ。
ビザンチンの影響を感じる荘厳なフレスコ画で彩られています。
ラースロー1世を記念した部屋なのですが、書かれているのはベーラ3世です。左は敵を討つベーラ3世。右は列聖されるベーラ3世とそれを祝福する教皇。
このベーラ3世は12世紀のハンガリー王でしたが、幼いころは人質としてビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルにいました。コンスタンティノープルでは随分と厚遇されたらしく、ビザンツ皇帝マヌエルからは一時後継者として指名されていました(が、マヌエルに息子が誕生したのでご破算に)。
しかし、ベーラはハンガリー王になってからもマヌエルに好意的で、同盟を結んでイスラム勢力と戦ったりしています。また、ビザンツの優れた官僚組織の導入や裁判所の開設といった内政でも手腕を発揮して、ハンガリー王国は中世の黄金期を迎えています。
こうしたことから、ベーラ3世はハンガリーでもかなり有名な王様となっています。
で、この聖ラースロー礼拝堂の横には三位一体礼拝堂があり、ベーラ3世の墓もあります。
セーケシュヘルフェルバールという街に埋葬されていた遺体を考古学調査で掘り起こしたのちに改葬したらしい。
ちなみに、隣にいるのは妃のアンナです。今のシリアにあったアンティオキア公の娘で、二人はコンスタンティノープルで出会い結婚しました。とは言っても恋愛結婚ではなく、ビザンツの皇帝マヌエルの思惑があったようです(ビザンツの東西にある国の2人を結び付ければ安心だろ……的な感じ?でも挟撃されたらヤバいですよね)。
続いて更に横にある聖エメリック礼拝堂へ。ここには大理石の聖母子像が飾られています。
ここは特に天井のフレスコ画が素晴らしい。
窓の光が天井の中心に当たって神秘的な雰囲気になっています。金色の使い方も控えめでこれはこれで良いですね。
1階はだいたい見たので2階に行ってみます。
2階だからかステンドグラスが近い。
いいですねこれは。華やかなステンドグラスの前に置かれた彫像がとても美しい。(何の彫像かは忘れた。)
見ての通り屋根裏部屋みたいな感じですが、色々展示してあります。
これは国会議事堂でも見た聖イシュトバーンの王冠のレプリカです。十字架が傾いていることが分かりますね。
こちらは赤サンゴをあしらった鏡です。なんつうか……すごいセンスの一品。
この他、屋根に関する展示もあります。綺麗な6角形によって屋根の模様ができているのですね。しかも意外と瓦一枚一枚は小さいのが印象的でした。
2階のテラスからは身廊が眺められます。
また、祭壇近くにもテラスがあり、祭壇やステンドグラスを間近で眺められます。
真ん中のマリア像がはっきり見えますね。
ところで、このテラスの模様が中々エキセントリックで面白いのです。
何をモチーフにしているのでしょう。翡翠……かな?
2階は展示室とテラスで終わりなので1階に戻ります。
出口付近にあった面白い形の窓。井戸をイメージしているのでしょうか?
出口のすぐ横にはマーチャーシュ王の紋章があります。国会で見た聖イシュトバーン王冠の領邦の紋章と思いきや、微妙に違います。中央が指輪をくわえたカラス(アールパード家の紋章)になっていますね。
紋章の左が出口である聖マリア門になっています。
聖マリア門の装飾もすごい。でも、模様が無い個性が薄まったように感じますね。
ちなみにこのマリアの門は、雪国のコンビニよろしく二重の入口になっています。おそらく増築部分。
壁にはレリーフが飾られていました。ここまで厳重なのを見ると創建当初のものなのかもしれません。
教会内を出て寒風吹きすさぶ外からマリア門を眺めます。
トレーサリーの模様が万華鏡写輪眼っぽくて面白い。
最後に正面から教会を見ます。
塔が大きすぎて相当広角にしないと入りません。高さは88mもあるそうです。
しかし、こうして見ると、なんだかロマネスクっぽさもある不思議な建物です。波乱の歴史を象徴しているかのような感じですね。
屋根にはさっき展示で見た瓦屋根で模様が描かれています。
これにてマーチャーシュ聖堂の見学は終了。聖堂としての規模感はやや小さめながらも、独特の装飾が目を引くインパクトのある教会です。ヨーロッパにあってヨーロッパらしくない部分もあるハンガリーらしい場所でした。
さて、引き続いて王宮の丘を散歩していきます。
つづく
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