転がる五円玉 ~旅と城と山~

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冬のハンガリー温泉旅 その17 ~ハンガリー国立博物館で歴史を学ぼう~

ローマ帝国時代のブダペストはアクインクムと呼ばれていました。この地はローマ帝国の国境線に近かったため、国防上の重要拠点だったようです。

ブダペスト北部には人口4万人を数えた古代都市としての遺構が今も遺されています。

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が、、、なんと博物館が休館日でした。なんてこったい。

 

代わりにローマ帝国時代の闘技場跡にやってきました。闘技場とは要するにコロッセオの小型バージョンのことです。
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今では土台しか残っていませんが、当時の規模感は分かります。ちなみに闘技場は3kmほど南にもあるので興味があったらGoogleMapで探してみてください。

 

ま、それはそうと次の観光地であるハンガリー国立博物館に移動しました。

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やっぱり教会などを回るだけでは細かい文物を知ることはできないので、こうした博物館に行くのは鉄板ですね。

 

1000フォリント(≒400円)でチケットを買って入場します。意外とお安い。
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入口近くでは特別展として後期ローマ時代の銀皿が特集されていました。
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さっき行ったアクインクムから発掘されたらしい。

殆ど正円に近いプレートからは当時の技術力がうかがい知れます。ローマから遠く離れたアクインクムでこのレベルのものが発掘されたとは。ローマ帝国恐るべし。

ちなみに、所有者が戦争から逃れる際に宝物庫に隠したもののようです。その所有者は戦争によって二度とアクインクムに戻れなかったのかもしれませんね……。

 

特別展は5分ほどでサラッと見終わったので常設展へ。1階にあるチケット売り場から階段を登って2階の入口に向かいます。
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ここの階段がなんだかすごい雰囲気。多分これらの絵は古代ローマをイメージしています。

 

まずは有史以前の歴史からスタート。
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土器です。
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ローマ時代の円柱に、
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馬車。先日の馬車博物館でも思ったのですが、ゴムタイヤの無い馬車ってとても痛そうですよね。主にケツが。
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ローマ時代の装束。
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ローマ時代の展示はなんというかサラッと終わっている印象です。まぁ今のハンガリー人がやってくる前の時代ですしね。

ローマ帝国崩壊後にハンガリーはアヴァールという遊牧民に占拠されました。下の金食器類は後期アヴァールのものです。
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一般的にローマ帝国が崩壊してから文明レベルは著しく低下したとされていますが、この食器類を見る限りそうでもなかったようです。個人的には羊を模した入れ物がツボ。

 

続いて中世のゾーンです。ここからが今のハンガリー人の歴史になります。f:id:harimayatokubei:20201106175031j:image

これはコンスタンティヌス9世の王冠。今のスロバキアにて1891年に発掘されたものです。

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金のプレートに当時のビザンツ帝国皇帝や聖人の絵が描かれています。宝石もついておらず全体的に素朴な雰囲気。

 

ハンガリー王ジグモントの肖像画です。この人物のまたの名を神聖ローマ皇帝ジグモント1世。
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神聖ローマ皇帝としての方が有名ですが、実は約半世紀もの間ハンガリー王として在位していた人物でもあります。皇帝の頭上には神聖ローマ帝国・ボヘミア王国・ハンガリー王国らの紋章が描かれていますね。

 

中世ハンガリー時代の写本です。この時代の写本は遊び心があっていいですね。特に右のページは段落冒頭の「S」が特大サイズで描かれています。
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中世も終わりになるといかにも騎士っぽいプレートアーマーが出現します。
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が、このような鎧と同じ時代に登場したのがオスマン帝国。

知っての通り1526年のモハーチの戦いでハンガリー軍は大敗。ブダペストを含む国土の7割はオスマン帝国に占領されてしまいます。
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トルコ石で飾られた曲刀とトルコ絨毯。どちらもブダペストで製作されたもののようです。
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オスマン帝国の支配は思ったより続きませんでした。モハーチの戦いから140年後の1686年にオーストリア軍を中心にブダペストを占領(奪還?)します。
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1699年のカルロヴィッツ条約によりハンガリー王国はキリスト教徒の手に戻ったのでした。

 

しかし喜んでいられるばかりではありません。オスマンの次にハンガリー王国を支配したのはハプスブルク家の皇帝でした。下の肖像はその一人でもある女帝マリア・テレジアです。
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このハプスブルクの支配に対してハンガリー人の貴族階級は何度も何度も反乱を起こしますが、そのたびに失敗し続けたのです。

こちらは当時の反乱の旗。

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聖母マリアが描かれています。

 

このハプスブルク家支配時代に生まれたハンガリー人がリスト・フェレンツです。
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知っての通りの偉大なピアニスト。あまりの衝撃で観客が気絶したとか、ピアノが演奏中にしょっちゅう壊れたとかのエピソードに事欠きません。

このリストも「ハンガリー人」としてのアイデンティティを強く持っていたと言われています。やはり世界的にも「民族」が重要視されていた時代だったのでしょう。


その後、国内融和によって強国化を推進したいハプスブルク家によって、オーストリアとハンガリーは軍事・外交のみを共同で行い、その他の内政は各自でやる、というオーストリ=ハンガリー二重帝国が成立しました。ハンガリーは遂に事実上の自治権の獲得したのです。

これを受けてあの豪華な国会議事堂が建設されました。自治権を獲得して盛り上がっていた時代背景を考えるとあの豪華さも納得ですね。

下は19世紀末の服装。なんとなくイメージする昔のヨーロッパっぽい感じです。
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いよいよハンガリーの時代が始まる!と思われましたが、この二重帝国も長くは続きませんでした。第一次世界大戦の勃発です。
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1914年の第一次世界大戦で帝国は敗北。ハンガリーはハンガリー王国としてかろうじて存続したものの、その領土は戦前より大きく削られてしました。
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ハンガリー人はハプスブルク家の皇帝を立憲君主として迎えようとしますが、戦勝国の干渉によって頓挫。名目上王国なのに国王がいない状態が続いてしまいます。
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戦勝国のせいで領土は削られて、国王も即位できない……こんな状態で不満がたまらないわけありません。

ちなみに、こちらは聖イシュトバーン没後900年記念式典のポスター。
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これらのポスターからは民族意識が強く残っていたことが伺えます。

 

民族としての誇りが傷つけられ不満が残ってるならば、やることは一つ。戦争です!!

1940年、遂にハンガリーは日独伊三国同盟に加盟してソ連に宣戦布告。その後、ドイツの快進撃に乗じてかつての領土をほぼ取り戻しました。
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が、1943年にもなるとドイツの敗色は濃くなります。これを受けて当時のハンガリー政府は連合国と単独講和しようとしましたが、ナチスの影響を受けた矢十字党がクーデターを起こし政権を獲得。ドイツと共にソ連との徹底抗戦に入ります。

下のマネキンは矢十字党の党員ですね。左手には党のマークがあります。
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そして1945年、ハンガリーは敗北しました。ブダペストはスターリン率いるソ連軍によって「解放」され、ソ連の衛星国であるハンガリー人民共和国が成立しました。
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そして共産主義の時代へ。この時代はハンガリーの首相よりも、ソ連大使の方が強力な権限を持っていたと伝わっています。ハンガリーは独立国ではありましたが、実質的にはソ連の影響が強かったのです。
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1956年には大規模な反政府活動「ハンガリー動乱」が発生します。反乱軍は下のような国章をくりぬいた旗で戦いました。
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しかし、これはソ連正規軍の介入により鎮圧され失敗。ハンガリーは1989年まで共産主義陣営の国として存在し続けます。

その後、1980年代後半になるとオーストリアとの国境にあった鉄条網の撤去がなされました。これがきっかけで東ドイツ住民がハンガリー経由でオーストリアや西ドイツに逃れる汎ヨーロッパ・ピクニックが発生。ベルリンの壁崩壊の直接的要因となります。
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1989年10月18日にハンガリー人民共和国はハンガリー共和国に改称されました。

共産主義の国章を二重十字と王冠の国章が破壊しているポスターはこれらの動きを象徴しています。

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そして現代のハンガリーへ……。国会議事堂の前に民主化を祝う国民が集結する写真で展示は終わっています。
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と、まぁこんな感じでした。見学にかかった時間は全部で2時間くらい。

総じて珍しい文物を展示するというよりは、ビジュアルを通じてハンガリーの歴史を知ってもらう事に力点が置かれている展示です。このため展示物を詳しく見なくてもおおよその流れは分かりました。ただ、ハンガリーの歴史を全く知らないとそれはそれで厳しいのでwikipediaで軽く予習くらいはしておいた方がいいと思います。

 

もしかすると、ブダペストでまず初めに来るべき所だったかもしれませんね。
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外に出ると既に陽は暮れていました。

さてさて、ホテルに戻りまして、このハンガリー旅行最後の行先となるゲッレールト温泉に行きます。

つづく

 

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