2019年ローマ旅行:カピトリーニ美術館その2 ~大理石の森~
暗い地下廊下を通って広場の北にある館に来ました。
廊下にはいきなりポセイドンの像が鎮座しています。デカい。
ちなみにポセイドンは泉の守護神なのでトレビの泉にもいました。
係員のオッサンが水を飲んでいるのですが大丈夫なのでしょうか。……イタリアだし大丈夫か!俺も飲もうゴクゴク-。……粉っぽい水だ。
廊下にはこれでもかと古代ギリシア・ローマの彫刻が並んでいます。
中でも目立ったのはこれ。マルスの像です。服装は当時のローマ軍のそれですかね。巻物を持っているので戦闘時ではない様子。右足の後ろにある木は、おそらく重量を分散させるものです。この木がないと足首から折れてしまうのでしょう。
一見普通の大きさですが、なんと360㎝もあります。凄い威圧感。
部屋の中にも彫刻が沢山あります。
一部の部屋には皇帝の殿堂と呼ばれるエリアがあります。アルバーニ枢機卿が蒐集した彫像が並んでいます。
目に付いたのはこちらの像。これはウェスパシアヌス帝です。みるからに田舎オヤジといった容貌で非常に分かりやすい。
容貌はともかく、その統治力は一級品でした。ネロ死後の大混乱を収拾し、破綻寸前だった国家財政を見事に健全化させました。有料公衆トイレを設置して政敵からも「ケチすぎる……」と引かれた話は有名。現在でもイタリア語で公衆便所は「vespasiano」と呼ばれています。ひでぇ。
この他にも香水を付けてた兵士を首にした話があります。この像からも、そうした堅物で真面目な様子が伝わってきます。
その近くにあるのはカラカラ帝の像です。教科書にも載ってるカラカラ浴場で有名。
短髪で厳しい顔つきです。服装も柔らかい服を身にまとったウェスパシアヌスとは違い、軍隊風です。カラカラ帝は軍事力を背景に政治をしたため、こうした風貌も軍隊ウケを狙ったと考えられています。
肝心の統治力はお察しで、彼を揶揄したアレクサンドリア市民を2万人も虐殺する、気に食わない貴族を処刑して財産を没収する、などをした暴君として記録されています。また、権力争いをした弟を母親の目の前で殺したとか……。
ケンタウロスは野蛮で粗野な生き物だと思われていたので、どことなく下品な笑い方です。筋肉の表現が凄い。
ちなみにこういう彫刻は殆どがギリシア彫刻のコピーで、「ローマン・コピー」と言われています。
驚くべきことにオリジナルのギリシア彫刻は殆どがブロンズ像だったらしいです。一方、ローマ人は大理石で彫像を作りました。結果、中世以降にブロンズ像は金属なので鋳つぶして再利用された一方、大理石は利用価値が無いのでそのまま土に埋もれました。現在は大理石の彫像ばっかりなのはそういう理由らしいです。現存するギリシアのブロンズ像の殆どは難破船からの引き上げです。
ケンタウロスの像もオリジナルはブロンズ像だったらしい。
(これらの話は以下のサイトに詳しい。)
こういう知識を得ると、前回見た「とげを抜く少年」の貴重さがより分かります。
この他にも様々な彫刻がありますが、特に目立ったのはこちら。
酒を飲む老人……の像ですね。なぜこれを彫像にしようとしたのか!?古代人の発想が面白すぎます。たるんだ肉体が生生しい。
カピトリーニ美術館の最後はタブラリウム(図書館)に行きます。高台にあるので、フォロ・ロマーノが一望できる素晴らしい風景が望めます。
コロッセオも奥に見えています。
この位置は昔から有名だったらしく、1535年のスケッチが残っています。
良く見ると柱の傷も全て現在と同じです。
↓後でフォロ・ロマーノから見上げたタブラリウムがこちら。アーチの下に人が立っているのが分かります。
こうして見るとローマは遺跡の上に建物が乗っている様子がよく分かります。
近くにあるのはセプティミウス・セウェルス帝の凱旋門です。上に載せた1535年のスケッチだと3番ですね。昔は下3mくらいが土で埋まっていたようです。
見ての通りいかにも凱旋門!という感じですね。門の構造は良く残っています。
一方で、レリーフはあまり保存状態が良くありません。東方のパルティアとの戦争を描いたものらしいのですが……。
柱頭の細かい彫刻は残っているのにレリーフが溶けているのはなぜでしょうか。石材が違うからでしょうか?
これでカピトリーニ美術館は大雑把ですが周れました。次は古代ローマの中心地である「フォロ・ロマーノ」に行きます。
つづく
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