転がる五円玉 ~旅と城と山~

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2019年ローマ旅行:フォロ・ロマーノその1 ~帝国の中心地へ~

カピトリーニ美術館を出て、フォロ・インペリアリ通りに戻ってきました。午前中は気が付かなかったのですが、ここにはカエサルの銅像もあります。

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うーん……逆光ですな。

フォロ・ロマーノにはこの通りから入れます。てっきり入場料がかかるのかと思っていたら無料でした。(後で調べたら毎月第一日曜日は無料だった)

 

入場したら早速遺跡の真ん中へ。

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うおおお……すげぇ…私が今立っている道はヴィア・サクラ(聖なる道)と呼ばれ古代ローマの大通りでした。この道をカエサル・アウグストゥス・ネロ・トラヤヌス……と言った超有人も通ったことでしょう。

現在の朽ち果てた円柱が並ぶ様子は正に遺跡といった趣です。しかし、往時は下の想像図のように大規模な神殿や円柱が立ち並ぶエリアでした。

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現代日本でいう霞が関のようなものでしょうか。ただ、古代ローマ時代のフォロ・ロマーノは裁判あり商店あり、はてまた娼婦までいた雑多な「広場」だったようです。「皇帝は市民の代表である」という古代ローマの雰囲気を感じます。

大昔は丘の上に住居があり、集会場は谷底に作られました。それが発達したのがフォロ・ロマーノです。さっき見たカピトリーニ美術館のタブラリウムからの景色から、谷底にあることがよく分かります。

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改めて見ると、タブラリウムがフォロ・ロマーノの展望台的な意味合いで建設された事がよく分かります。帝国の権威を示すためでしょうか。

 

さて、ここからはフォロ・ロマーノ各遺跡を見ていきます。の入口あたりにある円柱群はバシリカ・アエミリアという公会堂の跡です。かの大プリニウスが「ローマで最も美しい」と呼んだそうな。

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長らく使用されてきましたが、410年のローマ略奪の際に炎上し放棄されました。しかし、なんと中世まではかなりの部分が残っていたそうです。下のスケッチは1480年のスケッチ。

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前にも書きましたが、ローマ建築の大部分は中世まで残っていましたが、ルネサンス初期に教会の建設資材とするため大半が取り壊されてしまったようです。今から思うと、本当に残念でならない。

その後はアパートの下敷きになっていました。1960年代にそれらの建物が除去されて、現在の姿になっています。

 

フォロ・ロマーノの北側にはとてつもない存在感を放つ建物があります。これはクリア・ユリア、元老院議事堂です。

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神殿ではなく、一般市民が来る場所でもないためか、不愛想な外観をしています。正直言ってこれが元老院議事堂と言われてもあまりピンと来ません。もしかしたら防犯の都合で神殿形式ではなく、壁で囲ったのでしょうか?

ちなみにフォロ・ロマーノでは数少ない古代ローマ時代から生き残った建物だったりします。教会に転用されていたためです。

 

レンガ造りのアーチが残るのは、バシリカ・ユリアです。これも公会堂として使用されていました。

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往時の想像図が凄いことになっています。一体どういう発想でこういう建築物ができるのだろうか。

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フォロ・ロマーノのほぼ中心にある、この遺跡は神君カエサル神殿です。

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この覆いの下は、なんとカエサルが火葬された場所です!!おそるおそる中を覗き込むと花束が添えられていました。

やはりこうした偉人の足跡を生々しく感じる場所は色々とくるものがあります。あまりに興奮して写真を撮り忘れました。なんてこったい。

 

カエサル神殿の裏手には円形の神殿跡があります。これはかまどの神であるウェスタ神殿です。
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このウェスタ神殿には「永遠の火」が灯されていました。そして、それを守っていたのがウェスタの巫女です。ウェスタの巫女は処女であることが求められた反面、国家に必要不可欠で神聖な存在であるとされ強大な権力を持っていました。

彼女たちの意見は裁判では絶対であり、法律や条約の締結にも意見を求められたようです。かなり特色のある存在なのでヴェスタの巫女というオペラになったりもしています。

 

ウェスタ神殿のすぐ横にはアントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿があります。これは見ての通り、教会に転用されたため最も神殿らしい外観を残しています。

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梁をよく見るとANTONINOと彫られています。さらに正面の柱上部をよく見ると細い溝があります。これはルネサンス期に柱を転用しようとした際に、ロープを掛けた跡だそうです。構造が頑丈すぎて柱が倒れず、しょうがないのでここに教会を作ったのでしょう。

教会の入口がやけに高いような気がしますが、これは1900年頃までフォロ・ロマーノの地面が現在よりも3mほど高かったからです。

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1800年代の版画です。柱の下あたりまで地面になっていることが分かります。地形的に谷底だからか、2000年もの間に相当の土砂が流入したようです。

ちなみに現在の地面はアウグストゥス帝時代の高さです。つまり、現在の更に下にはスピキオらが活躍した共和制時代の遺跡が眠っているのでしょう。

 

この神殿の横にはロムルス神殿があります。ロムルスと言っても、始祖ロムルスではなくマクセンティウス帝(コンスタンティヌス帝に負けた人)が息子ロムルスのために建設したものです。

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柱も小さくかなり地味な建物です。こちらも御多分に漏れず教会として使われていたため、現在でも残っています。

 

この辺りの道には発掘された彫像が並んでいます。建物の上にあったものでしょう。

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野ざらしで展示されているので美術的に素晴らしいものではない感じ。

 

コロッセオ方面に向かうと、巨大な建物の跡が目に入ります。これはマクセンティウスのバシリカです。

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今までの神殿やバシリカは1世紀頃の建築ですが、これは4世紀のものです。円柱を使わずにレンガ主体の構造になっていることから時代の違いが読み取れます。

しかし、この建物はとてつもなくデカい!!びっくりするくらい大きいです。高さ35mなので10階建てのビルくらいでしょうか。

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アーチ下の八角形の窪みからセンスを感じます。あまり有名ではない建物ですが、個人的にはおすすめです。

 

フォロ・ロマーノの東端にはティトゥスの凱旋門があります。これは、82年にティトゥス帝のユダヤ遠征の勝利を記念して建てられたものです。

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ところでこの門、なんか小綺麗すぎる気がしませんか?実は中世に要塞の一部になっていたため、アーチと碑文のあたりしか残っていませんでした。

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当時の絵画を見ると凱旋門らしさが全然無くて驚きです。1800年代に復元されて現在の姿になりました。ちなみに構造自体はレンガで外側を大理石で仕上げてありあmす。

セウェルスの凱旋門やコンスタンティヌスの凱旋門、そしてパリの凱旋門も全てこのティトゥスの凱旋門をモデルにしています。そういう意味で世界の景観を形作った重要な建物と言えます。そういえば平壌にも凱旋門があったような。

 

フォロ・ロマーノはこれで終わりですが、隣には皇帝の宮殿があったパラティーノの丘があります。敷地が連続しているので行ってみることにしました。

いやしかし、こうも見る場所が多いと記事もレポートっぽくなってしまいますね……。

 

つづく

 

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