読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

転がる五円玉

大学院一年生のみたままを書こうと思います。旅行・アイマスなど

沼田城 

至仏山は思ったよりも体力的に厳しくなかったので、真田丸でも舞台になっていた沼田城へ。

沼田城は真田氏の時代は五重天守もある巨大な近世城郭だったようだが、改易後は石垣も埋められて往時のような壮大さは一切なくなってしまったらしい。

 

f:id:harimayatokubei:20160919160500j:plain

↑入口

無料の駐車場があったので停めてから散策。

f:id:harimayatokubei:20160919163039j:plain

↑正保城絵図の沼田城天守と三重櫓が存在している。右が北の地図。台地と地続きの東側の防備を厳重にしていることが分かる。

 

遺構その1:三の丸土塁

f:id:harimayatokubei:20160919162045j:plain

↑中央の木が生えている土が土塁跡

う~~~ん、いきなりしょぼい。駐車場が三の丸になっているのは良くある話なので驚きはしないが・・・。基本的に崖上にある城なので崖側の防備は比較的薄いが、この土塁は台地と地続きになっているので備えとして設置されたのだろう。

また、石碑の名称は三の丸土塁だが、正保城絵図では侍屋敷となっている。

 

遺構2:本丸水濠

f:id:harimayatokubei:20160919163335j:plain

一見すると水溜りのようだが、ちゃんとした堀。真田氏時代には写真の右側に三重櫓が建っていたらしいが、もはや跡形もない。石垣もすこぶる低く、改易後の破却が相当凄まじかったことが分かる。

遺構3:天守台跡

天守跡ではなく天守台跡。破却で石垣も完全に壊されたようだ。正保城絵図では「石垣8間(15m)と書かれている。

f:id:harimayatokubei:20160919163556j:plain

↑左下の黄土色の部分はおそらく明治時代に埋め立てた堀跡。左の高いところが本丸で、右の低いところが古城と思われる。

f:id:harimayatokubei:20160919163741j:plain

↑発掘中の本丸

本丸と古城の落差は意外とある。あながち15mというのも間違いではなさそう。

また、絵図を見ると天守は四重だが、一重目に破風があるのはどう考えてもおかしい。また、なぜか土塀の中に建っている(石垣に建っていない)ので、色々と謎が深い天守だったりする。

f:id:harimayatokubei:20160919164812j:plain

沼田市による復元案。。あながち間違いではないかもしれない。

 

遺構4:馬出の土塁

f:id:harimayatokubei:20160919164934j:plain

↑馬出の土塁。

奥の微高地には平櫓があったらしい。車が停まっているあたりは本丸堀跡。

 

遺構?:侍屋敷跡

f:id:harimayatokubei:20160919165119j:plain

天守北東側にあった侍屋敷跡。特になにもないが、GoogleEarthで見ると明らかにここだけ孤立した住宅街になっている。

 

 

f:id:harimayatokubei:20160919165537j:plain

真田氏時代の石垣がそのまま埋まっていた。堀としてはかなり貧弱だが、崖側なのであまり厳重ではないのだろう。

 

他にも本丸石垣とかあったようだがスルー。また、虎口を探したが見つからなかった。

テニスコートや野球場を造成するときに土塁などはまとめて撤去されてしまったかもしれない。

全体的にはちょっと物足りない城だったが、痕跡探しにはもってこいかもしれない。

 

消化不良だったので次は名胡桃城に行った。