名胡桃城 真田丸効果で完璧に整備されてた
沼田城の支城だったはずなのに、かなりの知名度を持つ城。
詳しくはwikipediaをどうぞ。
真田か徳川か北条か、と三者の間でもつれにもつれ、とうとう第一次上田合戦などを引き起こした沼田問題は結局秀吉の裁定によって「沼田の名胡桃は真田。それ以外は北条」と決着がついた。
「名胡桃は先祖墳墓の地だから!」という昌幸らしい言い訳によって真田領となった名胡桃だが、北条の武将である猪俣邦憲が何を思ったか突然攻め落としてしまう。
当然、真田はこれに激怒。家康を通じて秀吉に訴えたところ、自分の命令を無視された秀吉も激怒したため北条攻めが決定。その後、秀吉によって北条氏は滅亡した。
とにかく名胡桃城が北条氏滅亡の端緒となったことは事実。実際の城としては10年ほどしか使用されなかった。
場所は沼田城から国道17号線沿いに10分ほど行った台地上にある。利根川とその支流が作った断崖絶壁にあるためそこそこ堅固な感じ。縄張がシンプルなのは崖があまりにも強烈だからだろう。アクセスが非常に良いし、真田丸効果で整備もばっちりされていたので非常に散策しやすかった。
↑国道17号沿いにある城跡の看板。城は主に国道の東側に位置している
↑立派な看板。旗指物も気分を盛り上げてくれる
↑初めに見えるのは馬出。武田氏の家臣であった真田っぽい丸い形をしている。
この整備される前はこのあたりが駐車場だったらしい。
↑三の郭。三日月堀や土塁はペイントで表現されている結構広い
↑三の郭と二の郭の間の堀。結構浅め。
↑二の郭虎口。土塁は近年整備されたもの
↑このような案内板は各所に立っている。土塁はちゃんと発掘調査に基づいて築かれているので安心。
↑二の郭内部は建物の礎石の位置が展示されている
奥に進むにつれて狭くなっていく。
↑一の郭。実質的な本丸だが、狭い。
↑城内の祠の上にあった小銭。いかにも真田っぽい
↑一の郭にあった石碑。古写真で建立の様子が残っている。
↑郭群とは別の尾根にある般若郭。一~三の郭は戦闘用で普段の居館はこちらにあったようだ。