転がる五円玉

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福岡城 〜地味目な大城郭・復活の日は来るのか?〜

福岡城を作ったのは黒田官兵衛の息子、黒田長政です。

関ケ原の戦いで小早川秀秋や毛利家の調略をした黒田長政は、その功績が認められ中津12万石から福岡52万石へ一気に4倍もの加増を受けました。

1600年頃の筑後地方は現在の福岡市北東にある名島城が主城でしたが、名島は城・城下町共に手狭であったため長政は1601年に福岡城の建設を始め、1608年に完成しました。

ちなみに福岡という名前は、黒田氏の発祥の地である備前の「福岡村」にちなんで黒田官兵衛が名付けたものです。それに対して「博多」は中世以前からの歴史ある商人町。江戸時代は福岡城近辺の武家街が「福岡」、商人街が「博多」と別の街として明確に区別されていました(その点はブダペストに似ていますね)。

明治維新以降に主だった櫓などは取り壊されたものの、城域はかなり良好に保存されています。

 

さて、福岡城は黒田氏52万石の居城でしたが、今ではいまいちパッとしない印象があります。やっぱり熊本城(細川氏54万石)と比べちゃうんですよね。天守や3重櫓が所狭しと並ぶ熊本城に対して、こちらは二重櫓がポツポツ残っているのみなのです。

全体的には平坦で広大な三の丸が3方を取り囲み、二の丸、本丸が南側にある梯郭式の構成です。

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往時は水堀が周囲をぐるっと囲んでいましたが、現在残っているのは北側と西側のみ。それでも全体的には都市化の波に呑まれず遺構がよく残っているといえます。
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(ちなみに、城の南東にある警固中は堀跡に建設されたので異様に細長い形をしています。興味がったら調べて見て下さい。)

今回は北西の下之橋御門から表御門を通って天守台、裏御門から南丸と巡ってみました。

 

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訪れたのは7月中旬。

地下鉄の大濠公園駅から徒歩3分で、下之橋御門が見えてきました。
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この堀も40m近い幅があって非常に立派で、52万石の風格を感じます。

 

下之橋御門です。櫓門が切妻屋根なのは珍しい。オリジナルの門は平成12年に失火で焼失しており、現在のは平成20年の復元です。ただ、明治時代に門の2階を全部取るという大規模な改造が施されていたので、焼けた門は昔の姿とは全然違っていたようです。

下記ブログに昭和時代の下之橋御門の写真があります。

古跡探訪録 : 福岡城復元考〜その2〜

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というかこの枡形門、塀に狭間が一切開いてないのがすごい違和感。塀は復元なのでしょうか?

 

奥に立つのは伝・潮見櫓です。なんで「伝」がつくかというと本当の潮見櫓は別の場所にあるから。

この伝潮見櫓は明治時代に黒田別邸に移築されて、戦後は「潮見櫓」として検察庁の所有となりました。その際に本来あった三の丸に移築しようとしましたが、米軍が利用していたため仕方なく今の地に再移築されます。

その後、長らく潮見櫓として立っていたのですが、平成3年に博多区の崇福寺に本当の潮見櫓が移築されていたことが判明しました。これにより、この櫓の名称は不明となってしまったのです。

下のサイトに崇福寺仏殿として利用されていた潮見櫓の写真があります。現在は解体されて部材が保存されている模様。

知っとうね?!再発見!福岡城・鴻臚館 - 福岡城散策マップ

折角の現存櫓なのに正確な名称すら分からず、本来と違った場所に立っているとは。確かに、枡形門の塀の向こうにポツンと立っており違和感があります。。本丸の伊之助櫓だったという説もあるようですが、特定には相当な調査が必要でしょう。

 

下之橋御門を通ってからまずは牡丹芍薬園に行ってみます。
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ここは何を隠そう、黒田如水の屋敷(お鷹屋敷)があった場所です。

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石垣等はありませんが、福岡城三の丸にあって明らかに独立した郭を形成しています。晩年の如水に長政がどれほど遠慮していたのか分かるようです。
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広さも中々のものでかなりの広さの屋敷があったのではないでしょうか。

黒田如水は1604年、自身が設計した福岡城の完成を見届けることなく死去しました。

 

お鷹屋敷の南には名島門があります。名島城から移築されたと伝わった門。これも切妻作りで、材木を前面に押し出した古風なイメージです。
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実はこの門、江戸時代は家臣の林掃部宅の門として利用されていました。明治以降は地元代議士邸の門として利用され、昭和になって現在地に移築さたのです。

という訳で、名島門は正確には福岡城の門ではないのです。そもそも江戸時代にこの場所に門はなかったようです。

 

名島門の南には長い石垣が残っています。高さは5mほどであまり堅固ではなさそう。
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さて、城内を横切る県道を渡って、向こうにある二の丸・本丸に行きます。
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松之木坂御門を通って二の丸に登ります。
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二の丸から眺める本丸の石垣。木に隠れていますが、相当に立派です。石の大きさや精緻な組まれ方、石垣の長さは52万石に相応しいと思います。
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表御門を通って本丸へ。実はこの表御門は博多区の崇福寺に現存しています。再移築して欲しいけど予算が難しいのかな……。寺の承認も必要ですしね。
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本丸にも現存櫓である祈念櫓があったのですが、現在は石垣工事につき解体されています。
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脇から眺めると工事の様子がよく分かりました。
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この祈念櫓も現存と言っていいのか怪しい建築なのです。明治時代に大正寺に移築され、「祈念櫓」との棟札が発見されたので昭和58年に現在地に再移築されたのですが、なんと大きさが四分の一になっていたのです。

おそらく移築時に大幅な改修を受けたためなのですが、そのせいで古写真とも全く違う風貌になってしまいました。

「祈念櫓」の画像検索結果

↑石垣工事で解体される前の祈念櫓

そもそも祈念櫓だという証拠も棟札しかないので微妙な所です。個人的には是非とも元の姿で復元して欲しいのですが、図面も無いらしいのでちょっと厳しいのかもしれません。

 

さて、桜が生い茂る本丸を歩くといよいよ天守台が見えてきました。
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流石にかなり立派です。熊本城・姫路城と同じくらいの規模感だと思われます。
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階段を登るとまずは踊り場に出ます。正面にあるのが埋門で通ると天守台の裏手に出る模様。
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こちらが天守台。やはり草が多い……。
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天守台は展望台になっているようです。
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天守台内部には礎石が立ち並んでます。福岡城には天守閣は無かったというのが通説ですが、近年になって1620年に幕府に遠慮して取り壊されたとの天守の存在を匂わす文書が発見されました。ただ、それ以外に証拠がない上、図面も外見も全く不明なので復元は難しいでしょう。

もっとも、今の福岡城は小ぶりの櫓や門しか残っておらず、一般的には地味な小さい城としか見えないと思います。九州の他の城に天守閣が数多くあると思うと……天守閣を求める市民の気持ちも痛いほどよく分かります。
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天守台からは福岡市内を一望できます。これは西方面。
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こっちが天神・博多方面。福岡市は空港がすぐ近くにあるので、大都市にしてはビルが少ない特異な景観になっています。

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ちなみに本丸はこんな感じです。木が多すぎるよ~。
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はい、景色は良いのですが、今は7月中旬。とてつもなく暑いので1分で下りました。九州の厚さはマジで死ねるな……。

 

埋門を通って南側から天守台を眺めます。せめて草を、草だけでも取ってくれれば見栄えすると思うのですが。
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天守台の裏手にある水の手門から本丸を下ります。
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本丸に3つある門(表御門・裏御門・水の手門)のうち最も小さいので全てが地味ですね。
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二の丸から眺める裏御門です。表御門とほぼ変わらない大きさがあります。
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本丸の鉄砲櫓石垣です。うーん、なんだかんだ言って立派ですね。福岡城の石垣は。でも石垣だけでは一般の観光客を呼ぶのは難しいでしょう。
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二の丸の南にある南丸にやってきました。奥にあるのが福岡城の建築で唯一江戸時代から動いていない現存櫓の多門櫓です。後で下から見ます。
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桐木堀門を通って三の丸に下ります。搦め手なので石垣も小粒ですね。それになんだか孕み出しているような気もします。
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二の丸西側の石垣です。分かりにくいですが10m級の石垣が奥まで並んでおり相当の迫力です。
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さて、最後になりましたが福岡城のメインディッシュともいえる現存多門櫓(重要文化財)にやってきました。
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やっぱり現存櫓は良いですねぇ。今までで最も城っぽい雰囲気です。
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この多門櫓は内部が16の部屋に分かれており平素は倉庫として利用されていたようです。

それにしても木が邪魔。市内の貴重な緑と言えば聞こえはいいですが、木の根は石垣を崩壊させるし、石垣は見えないし……なんとかして欲しいなぁ。

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本当は三の丸にある鴻臚館なども行ってみたかったのですが、あまりの暑さでダウン寸前なので大濠公園に行きます。
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大濠公園は城の堀を利用した大規模な公園です。堀にしては幅は広すぎるようですが、これは元々入り江だったものを黒田長政が埋め立てたかららしいです。
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30分くらいしか歩いていませんが、結構疲れたので公園の脇にあるスタバで一服。いやはや……夏場に城を巡るのは一苦労です。

休憩している間にもますます気温が上がってきたので今回はこれで終了としました。

 

福岡城は堀・石垣・敷地面積いずれも52万石の居城にふさわしい規模感がありました。正直言って、知名度から想像していたものよりも凄かったです。ただ、建築という面ではかなり見劣りします。大藩の居城で天守閣が無い城といえば金沢城が思い浮かびますが、あちらには石川門が現存しており、長大な多聞櫓も復元されました。

それに対して福岡城は小さめな門と木々に覆われた多聞櫓が残るのみ。あまりに地味すぎます。福岡城は古写真が非常に多く残っているので、できる限りの櫓や門を復元して欲しいと思います。福岡市には是非とも頑張って欲しいです(ふるさと納税もするぞ!)。

 

おわり