2019年2月イスタンブール旅行記:ブルーモスクとオベリスク、戦車競技場跡
※今回はスマホを横にして見ることをおすすめします。
アヤソフィアを堪能して、次はブルーモスクへ向かいます。
↑側面からのアヤソフィア。ちょっと違う雰囲気。
ブルーモスク
正式名称はスルタンアフメットモスクで、均整の取れた外観から「世界で最も美しいモスク」と言われています。
広場の南側にあるせいで完全に逆光になってますね……。
中庭からはドームがいくつも重なる構造がよく分かります。確かにアヤソフィアよりもスッキリした外観で美しいです。ちなみに入場料は無料。
中に入るとアヤソフィアに勝るとも劣らない巨大な空間が広がら……ない。
ん??
これは……もしや
絶賛工事中じゃないか!!
なんてこったい……。これはちょっと残念すぎます。みんな靴を脱ぐのでちょっと臭いし・・・・・・。1分で退散します。無料で良かった。
戦車競技場とオベリスク
ブルーモスクの西側には細長い広場が広がります。これは東ローマ帝国時代の戦車競技場跡で、真ん中には巨大なオベリスクが立っています。
このオベリスクは当然ですがエジプトから持ってきたものです。当時のローマ帝国の広さが伺い知れますね。
写真だとそうでもないですが、実物はかなり大きいです。高さ19.8mなので6階建てのビルくらいあります。
オベリスクの台座にあるレリーフは「勝者に月桂冠を与えるテオドシウス」です。最後のローマ皇帝と言われているあのテオドシウスですね。
古代ローマでは戦車競技場はただの競技場ではなく、皇帝と市民が直接接する場でもありました。このため、戦車競技中に皇帝への不満を爆発させた市民が暴動を起こした事があります。特に激しかった暴動が「ニカの乱」です。
〜〜やる夫で分かるニカの乱〜〜
という訳で、ここは1500年前に市民が「ニカ!ニカ!」と叫んでいたまさにその地なのです。モスクワの「赤の広場」といい、欧州の歴史は広場を中心に動いていたんですねぇ。
オベリスクの近くには謎のねじねじがあります。
実はこれ、蛇が絡み合った姿で、「蛇の柱」と呼ばれています。昔は頭もあったのですが、第4回十字軍によるコンスタンティノープルの陥落の際にヴェネツィアに持ち去られてしまいました。こんなの略奪して何になるんだ一体。
さらに隣にはレンガ作りのオベリスクがあります。「ウォール=オベリスク」と呼ばれており、見ての通り模造品ですね。
昔は青銅の板で覆われていましたが、例によってヴェネツィアによって略奪されて、今のような姿になっています。ヴェネツィア略奪しすぎでは……。
競技場の土台
戦車競技場の観客席は全く現存していませんが、土台は残っています。オベリスクがある広場からちょっと下ると小さい公園があり、湾曲した戦車競技場の土台がすぐに見えます。
この土台のすぐ上には建物があり、「イスタンブールは遺跡の上に建っている」ことが実感できます。
ちなみに、土台からは大量の水が吹き出ていました。
どこから漏れ出しているのでしょう?謎です。
今回行った場所
つづく