転がる五円玉 ~旅と城と山~

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Apple Watchが意外と使えなかった件

Apple Watchを購入して3ヶ月経ったが思ったよりたしたこと無かった。

正直手放すことも視野に入れているが、一旦良い点、悪い点を整理しようと思う。

ちなみに持っているのはApple Watch SE 40mm GPSモデル。親機としてiPhoneSE初代を運用している他、iPadPro11インチも普段から持ち運んで使っている。

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良い点

・電話が来たらすぐに分かる

iPhoneを鞄に入れていると電車内や家で音楽を聴いている場面だと着信に気がつかない事が多い。Apple Watchを腕に巻いておくと震えるのですぐに分かる。iPhoneを出さないで通話できるのも地味に便利。

 

・Suicaの代わりになる

AppleWatchはFeliCaに対応しているので、モバイルSuicaを利用できる。改札でタッチすればカード版と同じように通れるし、無論カフェでも本屋でも使える。しかも、ApplePayにクレカを登録したらチャージもオンラインでできる。

カード版しか使っていなかった身からすると革命的に便利だと感じた。

また、PayPayのようなQRコード決済にも対応しているため、これもまた便利。都会人には分からないかもしれないが、田舎だとFeliCaよりQRコード決済の方が圧倒的に普及しているんですよね。

 

・睡眠の質が測れる

就寝中も装着して寝るのでAutoSleepというアプリで睡眠の質を測ることができる。これによると自分は深い睡眠があまり取れていないっぽい。自分ではグッスリ眠れてると思ったんだがなぁ。

AppleWatchが無いとこういう発見はできなかったと思う。

 

・太陽系の惑星の位置が分かる(過去と将来も)

一見するとギャグ機能だが、木星と土星の大接近時に役立った。また、ダイアルを回すと過去と将来の太陽系の位置が分かるし、惑星がグルグルと回転するので面白い(セフィロスのスーパーノヴァを思い出した)。

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悪い点

・電池がしょっちゅう切れる

最大の問題点。まぁ、しょっちゅう切れるとは言うが平均的に48時間は持つし、充電は30分んもあれば終わる。それだけ持てば十分じゃん?と思うかもしれない。俺も思っていた、実際に使うまでは。

このAppleWatchは上記のように睡眠中も装着していたのだが、そのせいでスマホのように夜充電ができない。しかも、充電ケーブルが独自方式なので出先での充電もままならない(職場での電池切れも多い)。

このせいで起きたら電池切れてる、出先で電池切れる・・・・・・という事がしょっちゅう(週2回程度)起きる。こうなると私はただの3万円するアルミ板を腕に巻いている人になってしまう。

キチンと自己管理ができる人ならこうならないかもしれない。しかし、鞄の底に謎の紙が溜まる系人間の私にとって、充電から40時間ほど経ったら充電をして、30分後に装着するというタスクが増えるのは結構な苦痛だ。

電池持ちという意味では前使っていたチープCASIOの方が余程優秀だった。5年間使って1回も電池切れなかったんだぜ?マジで凄い。

 

・登山と相性が悪い

登山中のGPS記録をつけてブログ記事に生かそうと思ったのだが、GPSを取りながら歩くと6時間ほどでAppleWatchの電池が切れた。

は???

普通の日帰り登山でも8時間くらいは山にいるのだが・・・・・・。全く使い物にならない。

それに、岩場とか登っている時に傷つきそうで怖いので岩場に差し掛かる度に仕舞っていたのだが、これも地味にめんどくさい点。

 

・旅行と相性が悪い

上述したようにiPadとiPhoneとAppleWatchを普段は利用している。この3者はそれぞれ充電方式が違うので、旅行のたびにUSBtypeC・Lightning・AppleWatch用ケーブルを持ち歩かなければいけない。

いちいち3本ものケーブルを持ち歩くのはあまりにもスマートでない。鞄の底で3種のケーブルがとぐろを巻いている光景を見る度に悲しくなる。

旅行の荷物は極力少なくしたい派なので、こういう事態はできるかぎり避けたい。

 

・パスワード入力がダルい

Apple WatchでAplePay(Suica)を使うには4桁のパスワードを入力する必要があるのだが、これが意外にもダルい。

LINEの通知見るにもパスワード、Suica使うにもパスワード……。たかが4桁とはいえ、小さな画面をタップするのはちょっとしたストレスになる。

特に駅の改札前では、パスワードを打っていると邪魔なので一旦通路脇でパスワードを解除してから改札を通るしかない。どうにもスマートさに欠ける。

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・Suicaとして意外と使いにくい

想像して欲しいのだが、左手首につけたAppleWatchで改札を通ろうとすると、半身を捻って左手を体の右前にグーっと出してタッチしなければならない。後ろの人が普通にビックリしていてワロタ。

しかも、パスワードを解除してから改札に向かって歩く間にまたパスワードがかかって改札を通過できなかった事も一度や二度ではない。改札を通るたびに無用の緊張を強いられるのは甚だ面倒くさい。

 

・そもそも時計として使わない

AppleWatchはiPhoneの通知が見れるとか色々機能があるけれど、時計なんだから時間を見なければ話にならない。

しかし、私はデスクワークなので、腕時計を見て時間を知る機会は本当に少ない。壁掛け時計や車の時計を見ればいいからだ。

一方、登山と旅行中は身近に時計が無いため腕時計が欲しい場面。しかし、上記の通りその登山・旅行とAppleWatchの相性は悪い。旅行中に忙しくて充電ができず電池が切れることは実に多い。無論、登山中に充電する余裕は無い。

このため、時計として使うのも難しい状況にある。

 

と、まぁこんな感じ。電池関連の不満については、家と会社に充電ケーブルを用意する・毎日12時には充電する習慣をつける等の対策をしたが、私自身のズボラさもあって全く効果が無かった。というか、追加で買ったケーブルもどこかで亡くしてしまった。

こうなると、そのうち充電がめんどくさくなってあまり着けなくなり、遂にはなくしてしまうことも十分に考えられる。

そうなる前に売るのが上策かもしれませんね・・・・・・。うん。

 

おわり

松代城 ~武田から真田が受け継いだ平城~

松代城は古くは海津城と呼ばれた、北信地域の中心的な城です。

甲陽軍鑑によると、1559年に武田信玄により築城が開始され、翌年に完成したとのこと。その後この地域は武田対上杉の前線となり、川中島の戦いでも武田側の基地として活躍しました。

武田氏滅亡後は豊臣・上杉・徳川の領地となり城主も入れ替わり立ち代わりして、1622年に真田信之が13万石で入城して松代藩を立藩。以後、明治時代まで真田氏の居城として存続します。

 

縄張は以下の通り(出典:長野市HP)。方形の本丸を中心に二の丸が周囲を囲んでいます。特徴的なのが南と東にある馬出です。松本城や信濃岡城と大変似通っており、いかにも武田氏の城といった感じの雰囲気。

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本丸の広さは一辺80mほどで、とても10万石の近世城郭とは思えない異常な狭さです(同じく10万石の富山城本丸は100m×200mくらい)。このため、本丸については武田氏が築いた海津城をそのまま利用したのだと思います。

 

また、この城は北側の防御が著しく弱い印象があります。本丸の北側には堀は無いし、馬出も設置されていません。これは、江戸時代までは城のすぐ北側を千曲川が流れていたためでしょう。現在では600mほど北を流れているのでとても想像できませんが、下の航空写真(1975年)を見ると、本丸のすぐ北に川跡があることがなんとなく分かります。

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出典:国土地理院

幾度かの洪水被害を受けてから、1742年に千曲川は現在の位置に瀬直しされたようです。

 

明治維新後の松代城は主に畑として利用されました。1922年には長野電鉄屋代線が城内を通ったことにより、二の丸や花の丸の遺構が消滅。昭和の頃には本丸の石垣が残るのみだったようです。

平成に入ってから復元計画が本格化し、発掘調査などを経て2004年に本丸の太鼓門や北不開門が復元されて今に至ります。

 

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さて、今回は2月に松代城に行ってきました。志賀高原でさんざんスキーした後なので城の南にある駐車場に着いた時には3時を回っています。

おおっ、駐車場から既に門が見えています。やっぱり建物があるとテンションが上がるぜ。

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松代城の象徴ともいえる太鼓門です。ん~、案外小さい印象。

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というか、この城は高低差がありません。堀はそれなりの幅がありますが、石垣の高さは7~8mくらいしかないように思えます。これで上杉謙信と戦えたのか怪しい。

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太鼓門の枡形虎口は、よく見る90°に折れ曲がるタイプではなく、門が食い違って配置された変則タイプです。上の縄張図を見れば分かりますが、おそらく戦国時代は枡形虎口ではなく、江戸時代になってから太鼓門と石垣を増築したのでしょう。

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それにしても全体的に古風な外観です。板葺だし、柱は漆喰で塗られていないし、切妻屋根だし。本丸の門としては小規模な部類だと思います。

 

本丸内部です。地図で見た通りやっぱり狭い。本丸御殿があったようですが、1770年に南西の花の丸に御殿は移転しています。江戸時代の大名にこの狭さはキツいよなぁ。

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本丸の北西には戌亥櫓跡があります。まるで天守台のように立派ですが、天守ではなく二重櫓が建っていたとのこと。

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石垣は野趣溢れる野面積みです。豪快で結構好み。

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戌亥櫓跡。江戸時代の絵図を見ると、この櫓台の隅っこに櫓が立っていたようです。まぁ確かに、この広さは3重天守くらいはありますね。

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東には北不開門が見えます。本丸の搦め手で、こちらは90°に折れる枡形虎口です。

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ちなみに背後には戦時中大本営を写す予定だった象山も見えています。あちらもそのうち訪れたい。

 

櫓台を降りて北不開門へ。太鼓門より更に小さい。案内板には「中世の面影を残す」とありますが、確かにそんな感じの小ささです。

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門の外から門を眺めると、本丸側の方が低いことに気が付きました。案内板によると、この土の下には3mほどの石垣が埋まっているようです。もしかしたら千曲川の氾濫の土砂で埋まったのかもしれません。

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本丸北側は幅30mほどの曲輪になっています。

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本丸外から見た戌亥櫓台。やはり立派。でも、堀も何もないのは少々違和感があります。

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土塁に登って撮ってみました。土塁から櫓台まで3mほどの高さしか無いのであっさり登れそうです。なんだか総じて防御が弱い感じ。

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本丸西側の石垣。

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本丸南西隅の石垣です。こちらにも二重櫓が建っていたとのこと。

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本丸の周囲をぐるぐる回ったのですが、かなり小さめな印象です。石垣が無かったら近世城郭とは思えないくらいには小さい。

 

二の丸の南側には住宅街が広がっていますが、よく見ると外堀の遺構が若干残されています。

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二の丸東側にも外堀遺構が残されていました。左が二の丸、右が馬出です。鉄道によって遺構が潰されなければ、馬出も見られたかと思うと残念でなりません。

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本丸の東側には東不開門があります。ここだけ枡形虎口ではなかった模様。

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城の遺構は大体見たので松代市内をちょっとだけ散策します。

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実に城下町っぽいクランク。

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白井家家門。一見すると江戸時代っぽいですが、大正時代の建築らしい。

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すぐ近くにあるのが藩校文武学校。江戸時代の遺構が全て残っているようです。16時で閉門するようなので入れず。

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旧樋口家住宅。こちらは江戸時代の建築のようです。こちらも入れず。あら~。

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ある意味では松代城のメインとも言える真田邸ですが、ここも受付終了!機会があれば再訪したいですね……。

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それはそうとして、歴史的な建物が点在しており街の雰囲気が良い。普段はつくばという人工都市に住んでいるとこういう街並みが恋しくなります。

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こちらは家老だった小山田家。現在も居住しており見学はできません。番所と門は国の有形文化財です。維持管理(それと税金)が実に大変そう。

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小山田家から北東に2分ほど歩くと松代駅跡に着きました。

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普通なら駅に近づくにつれて街並みや人通りに変化があるものですが、ここは街のはずれにポツンとあるように駅舎があります。

駅舎とはいえ、鉄道は2012年に廃止になっているため今ではただの待合室です。

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実は筆者、屋代線が廃止された最終日にここに来ていました。当時は高校生で鉄オタやっていたなぁ(遠い目)。風雨が強い一日だったことをよく覚えています。

 

大正時代に建てられた駅舎を通り抜けると……

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ホームに出ました。

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当時の賑わいを思い出すとまさに隔世の感があります。

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やはり廃止から9年も経つと街も人もここに駅があったことを忘れるんだろうなと思います。形だけは駅舎のままですが、人が誰もいない静かな雰囲気は倉庫なんかに近いような感じです。

 

そろそろ日も沈むし松代城観光は終了。

松代城は近世城郭にしては石垣や土塁が小さめで、なんだか中世の城を歩いている気分でした。本丸の石垣はそれなりの迫力があるものの、最大でも7~8m程度でそこまで高くはありません。正直言って真田10万石の威容を感じるのは少々難しい城です。

しかし、武田氏時代からの縄張が残されている点や、北信の拠点として川中島の戦いで重要な役割を演じた城でもあります。現在残る城跡よりも、戦国時代に信玄と謙信が対峙していたことを想像して楽しむ城かもしれません。

 

おわり