転がる五円玉 ~旅と城と山~

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日本で造られた軍艦メークロン号を見に行くinバンコク

タイ国内には戦前からの日本との繋がりを示すものが結構あります。例えば、カンチャナブリーの「戦場にかける橋」。あれは、日本軍が戦時中に建設した鉄道橋です。

バンコク市の郊外に展示されている軍艦「メークロン号」もその1つ。タイ海軍が日本に発注して、1937年に横須賀の浦賀暗渠で建造された軍艦です。

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実は戦前に日本で建造された軍艦は殆どが沈没かスクラップにされており、現在では殆どが失われています。船らしい形の数少ない現存例は横須賀の「三笠」やお台場の「宗谷」くらいですかね。そのため、「戦前に」「日本で建造された」「軍艦」は世界的にも大変貴重な例なのです。

 

バンコク中心部からメークロン号があるプラジョンジュムクラオ要塞までの行き方は以下のとおり。

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①緑のBTMスクンビット線で終点のBearing駅まで行く(10分おき)

②バスかテンソウでPakNamまで行く(不定期だが結構ある)

③渡し舟でチャオプラヤー川の対岸へ渡る(10分おき)

④渡し舟の港から要塞までテンソウで行く(一時間おき)

※テンソウとはトラックの荷台を改造したバスのこと

片道で2時間程度はかかります。ちなみにBTMはPakNamまで2018年中には延伸されるようですので、渡し舟までは簡単に行ける様になるでしょう。

 

という訳でまずは宿のあるアソーク駅からBTMで終点のBearing駅まで移動します。暫定的な終点なので、駅前にバスターミナルみたいな便利なものはありません。そのため、バスが発着する駅の北側にある市場に向かう必要があります。

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徒歩3分ほどで市場に到着します。歩道沿いにタクシーやバスが停まっているのが分かりますか?これがバス停です。バスの行き先は全てタイ語なのでさっぱり分かりません。バスやテンソウの運転手に「パックナム?」と聞いてみましょう。

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運転手に聞き込むこと5分くらいで、やっとテンソウがつかまりました。運賃は8バーツです。

20分くらいパックナムに到着しました。

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結構な賑わいの街です。

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上の写真の右端に緑色の看板があります。この看板とおりに市場を進んでいくと、f:id:harimayatokubei:20180819132736j:plain

このような改札と港があります。運賃は5.5バーツ。安くて良い。

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船は100人以上乗れます。一見小さそうだけど思いのほか揺れない。ただし、エンジンの音は非常に大きいです。また、茶色く濁ったチャオプラヤ川の水しぶきが時々飛んでくるので注意。はっきり言ってかなり臭い。

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20分ほどで対岸に到着します。一応コンビニなどもありますが、PakNamに比べて静かな印象です。

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上の写真に見える青いテンソウで目的地のプラジョンジュムクラオ要塞に向かいます。ただ、他方面のテンソウもいるため注意。「プラジョンジュムクラオ」というよりも、タイ語の「ป้อมพระจุลจอมเกล้า」を見せるとスムーズです。

 しかし、このテンソウが1時間に1本という超閑散スケジュールなのです。行き先が民家もない要塞だからしょうがないんですがね……。私はここで30分も待つ羽目になりました。

田んぼが広がる田園地帯を行くこと30分くらいで、要塞の敷地内に入ります。そして、見えてきたものがこちら。

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おお!敷地の奥にメークロン号が見えます!早速近くまで行ってみましょう。

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いや~~艦砲がある軍艦はやっぱりかっこいいですね!!見てのとおり今では水の上には浮かんでいませんが、それでも良い。

メークロン号は排水量が1400tなので軍艦としてはあまり大きくはありません。初春型駆逐艦とほぼ同じですね。現代の艦艇ですと、海上保安庁のいわみ型巡視船が近いと思います。ただ、あまり大きくはないとはいえ全長は85mあるため中々の迫力です。

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艦首のあたりをウロウロしてから乗り込みます。日本の博物館船の公開ではかなり移動は制限されてしまいますが、このメークロン号は(ほぼ)どこでも自由に行けます!タイのゆる~い所はこんなところにも出てますね。

まずは艦首に行って主砲を見ます。

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砲塔の曲線が優美ですね。

船の上にあがって気がついたのですが、この船意外と小さい!長さではなく、幅が小さいためちょっと心細いような感じです。

続いて艦橋に上ります。

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舵などがありますが、当然のように全て触れることができます。椅子にも自由に座れます。結構小さく、10人も入れば満員となりそうです。

階段を降りると、艦長室や士官室がある階に出ます。階段がほとんど垂直で結構スリリングですね。

艦長室はさすがに立ち入り禁止でした。士官室は2段ベットで洗面器もありました。全体的にみて、居住区は現代の軍艦と比べればかなり貧相です。当たり前ですが。

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こちらはミーティングルーム。メークロン号の乗員は52名なので、ほぼ全員収容できたのでしょう。

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艦内には機関室などもあるのでしょうが、流石にそこまでは行けないようでした。

外に戻って上部構造物を見ます。

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↑カッター

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↑煙突。艦橋のすぐ後ろにあります。

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↑甲板からみた煙突と艦橋。ごちゃごちゃしているのが実に昔の艦艇っぽい。

後甲板には天幕がかかっています。

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この丸いものは機雷でしょう。このレールに沿って艦尾から落とすようです。しかし、ビジュアルからしていかにも触れたらヤバそうですね。

船を下りて艦尾に行ってみます。

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タイ海軍の旗は中央に象のイメージがあるため、どうしてもChangビールを連想してしまいますwwww

川に向かって伸びる歩道から船を望むと均整のとれた全容が良く分かります。ちょっと分かりにくいですが、後方にも主砲が2問あります。

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船はチャオプラヤ川の河口を向いて固定されています。近代以降はタイの外敵は全てこの川を遡上してきたからでしょうか?エイリアンが攻めてきたらミズーリのようにメーークロンが復活するかも……しれない。

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船の見学自体は約一時間くらいで終わります。最初に書きましたが、テンソウが1時間に1本なので、それを前提に動くべきです。ちなみに要塞にタクシーはいません。タイ人はみんな自家用車で来ています。

要塞にはマングローブ林に行ける歩道などありますが、興味がなかったのでスルーしました。付属のレストランで昼食を摂ります。結構うまい。

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なんだかんだで要塞についてから2時間が経っていました。ちょうどテンソウの時間にだったのでバンコクへ帰りました。

 

バンコク市の中心部から往復で4時間以上かかるため日帰りでも十分に行くことはできます。途中で結構ローカルな場所も通るため、一般的な観光地に飽きた人にはおすすめのスポットです。

三原城 ~市街地に埋もれた城~

歴史

その起源は1567年に小早川隆景によって築かれたことに始まるが、築城当初は水軍の拠点程度のものであった。

本格的に拡張されたのは1580年以降のこと。小早川家が本拠地を三原城に移転したため、山陽道と瀬戸内海を掌握する一大拠点となった。この頃に三原城の縄張は完成したとみられる。

1600年以降は

 

 

 

広島から新幹線で三原まで来ました。

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航空写真を見れば分かるのですが、かつての城の上にJRの三原駅が完全に横たわっています。そのせいで本丸は分断され、二の丸は駅前広場となり、その他の郭も市街地となって埋没してしまっています。

とはいえ、立派な天守台や市内の所々に石垣が残っているのも事実。今回はそんな三原城を2時間程度で歩いてみます。ルートは以下の通り。

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早速ですが、新幹線のホームからは天守台が見えます。ものすごく立派で、大きさだけは姫路城や熊本城のような大城郭にも全くひけをとりません。

 

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改札を出て駅のコンコースを通って天守台に登ります。

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やはり広い。最早天守台というよりは1つの郭のような大きさです。

 

天守台に三原城の絵図の看板がありました。

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陸側の防備が薄いような気がしますが、そもそも北には山があり、そこからの攻撃は想定していないようです。

 

駅を出てまずは天守台の東側へ出ます。すげぇ、石垣の中に通路がある。

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駅から徒歩1分もかからず天守台のある堀端に出ました。

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改めて見ると扇の勾配が非常に美しい。海に近く地盤が緩いので勾配も緩いのでしょう。

 

三原城の主な遺構はこの天守台くらいですが、細かい石垣が市街地各所に残存しています。縄張り図とGoogleMapを見比べてそれっぽい場所を回ってみます。

 

まず行ったのが天守台横にあるサーバス三原駅前というマンション。このマンションは堀跡に立っているため、駐車場の周りに石垣が残存していました。

 

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完全にマンションの敷地内なので若干入りにくい雰囲気。

マンション横の明らかにクネクネした謎の溝もおそらく堀跡でしょう。

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南に向かうと、鉄道の高架下に石垣が残っていました。

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このように、街中にちょいちょい石垣が残っています。これは結構面白いですね。

 

高架をくぐった先には水堀が残っています。

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でも、堀とはいえ底が見える程度には浅い。当時は海だったエリアなので、堀という表現も適切ではないかもしれません。

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なお、写真の石垣の上には枡形門があったはずなのですが、跡形もありませんでした。

 

近くの県道55号線からは船入櫓の石垣がよく見えます。これは天守台意外では最大の石垣ですね。

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昔は大規模な堀が横にはあり、南は瀬戸内海だったはずなのですが、今では1mにも満たない堀があるだけです。

 

こちらの面は完全に公園と同化しています。昔はこの公園も海の下でした。

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本丸沿いに西へ歩きます。このあたりはだいたい道とかつての郭が一致しています。少し気になったのが、これ。

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普通の雑居ビルの壁がやけに石垣っぽくなっています。しかも、位置は昔の石垣と完全一致。普通に考えてただの壁なのですが、違和感がすごい。要検証かもしれません。

 

三原国際ホテルの裏手に石垣が残っています。

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高さはそれほどないので割と地味ですねぇ。おそらく、昔の三原城の石垣はほとんどこんな感じだったのでしょう。

 

高架を再びくぐって天守台の西広場まで出ます。

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この日は三連休だったからかお祭りが開かれていました。この広場は昔武家屋敷が立ち並んでいたようです。

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最後に天守台を見て終了!

 

広島城の支城という立ち位置だからか、割とこぢんまりと纏まっている印象の城です。ただし、天守台は例外。これだけは日本の名だたる名城にも引けをとらないインパクトがあります。

また、駅周辺に点在している石垣をちまちま発見するのが結構楽しいです。この城を訪れるなら是非ともネットで昔の縄張図を見つけてみて下さい。

 

おわり