転がる五円玉 ~旅と城と山~

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美濃赤坂散策 西濃鉄道昼飯線歩き(2017年10月)

大垣駅に戻ってから美濃赤坂に向かいます。

 

美濃赤坂支線とは!

東海道本線の支線。新幹線からもよく見える大垣市北方の鉱山から石灰を運び出す役割がある。貨物列車の他にも旅客営業をしており、ある意味では東海道本線の終点とも言える。

 

大垣駅ではちょうどいい感じに乗り継げました。

18きっぷ旅行ではまず行く事の無いはじっこに停まる二両編成がなんとも言えないローカル線感を出していますね。

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わずか5分程度で終着の美濃赤坂に着きました。

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構内が広いですね。さすがは貨物線として賑わっていただけあります。ただし、今では左に見えるホームは使われていません。

 

こちらが終端部になります。まぁ普通と言えば普通。

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駅舎自体は中々渋くて良い。おそらく昭和の昔から変わっていないのでしょう。

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今では駅員もいないのが悲しいですね・・・。

ちなみに土日の日中はほとんど列車がありません。

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3時間以上空くとは・・・。私が乗ってきた列車は12時53分に戻ってしまうのですが、あえてそれには乗らずに美濃赤坂を散歩してみます。

 

軽くリサーチをしたところ、

・中仙道の宿場町だった

廃線がある

とのことでしたので、今回は廃線をチョイス。西濃鉄道昼飯線は2006年に廃止になった貨物専用線です。全線で3駅しかなく、長さも1.9kmなので軽く歩けますね。

西濃鉄道昼飯線 - Wikipedia

しかも良く見たらGoogleMapに路線跡が書かれてますね。

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まず初めは美濃赤坂駅構内の片隅にある駐車場です。見ての通り、線路跡がくっきり残ってます。

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すぐ近くの踏み切りにも線路が完璧に残ってます。ここまでハッキリしているとテンション上がりますね。

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特に立ち入り禁止でも無さそうだったので廃線歩きを始めます。

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だがしかし!ものの50mで藪だらけ。いくらこういう道を歩きなれているとはいえ中々厳しいものがあります。

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それにオナモミがズボンにくっつきまくるので泣く泣く撤退。普通の道を歩いて途中にある美濃大久保駅に向かいます。

 

道の途中には「ふみきり ちゅうい」の看板がまだ残ってました。

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20分ほど歩いたら美濃大久保駅に着きました。この駅はスイッチバック形式(青森駅とか函館駅みたいな感じ)になっているため、一見すると終着駅のようです。

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構内には思ったよりも鮮明に線路が残っています。これは凄いな・・・。

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このあたりには今列車が走ってきてもおかしくないような雰囲気すらあります。

 

終点の昼飯駅に向かって歩いているとかなり珍しいものを見つけました。

・・・・・・!?これはもしや遮断機の見張り番小屋・・・??

手回し式のハンドルもありますし、間違い無さそうです。おそらくこれは第二種踏切道という形式の踏み切りだと思いますが、跡地の現存例を見れるとは思いもよりませんでした。

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もはや崩壊寸前なのでいつ取り壊されてもおかしくはありませんね・・・。ちなみにすぐ横は江戸時代の史跡である兜塚があります。

 

美濃大久保~昼飯間は線路が撤去されている場所もありますが、周囲の建物の形でなんとなく路面は推察できます。

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ちなみにこのあたりの工場は古田石灰工業所というらしいです。茶人の古田織部の出身もこのあたりなのでもしや・・・?

 

10分ほど歩いたら終点の昼飯駅に着きました。f:id:harimayatokubei:20171125011842j:plain

いや~~~雰囲気怖ぇ~~~。駅舎もさることながら枯れ草が絶妙なアクセントとなりえもしれない雰囲気を醸し出してます。

 

駅舎は近くで見ると本当に普通の家って感じですね。

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しかし良く見るとしっかりと『昼飯駅』の看板が残ってます。

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「昼」が旧字体の「晝」ですねぇ。少なくとも戦前から掛かってそうです。

ヤード自体は残ってはいますが、線路は既に消えています。

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昼飯線歩きはここで終了です。予想よりも線路がはっきり残っていましたが、転用がほとんど無いことから、この地域があまり賑わっていないことも感じてしまいました。

 

中仙道の向こうに小山があったので行ってみると古墳がありました。

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思ったよりも大きい!全長150mの昼飯大塚古墳です。

一部は完全に復元してありますが、大部分はそのまま残されている整備の仕方は好感が持てます。

周囲に高い建物がないため、頂上からの景色が良い!中央に見える山はおそらく南宮山です。

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奥が晴れてて手前が曇ってるので分かりにくい写真になってしまった。

 

赤塚宿にある御茶屋屋敷跡に着きました。古墳から10分くらいです。

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お茶屋屋敷跡は簡単に言えば江戸幕府将軍の宿泊地です。ただ、ここは作られたのが関が原の戦いから9年後という、江戸と大阪の緊張が高まっていた時期でした。そのため、堀や櫓まであったようです。

 

そのため、周囲には空堀がしっかりと残っています。

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中は個人所有となっており、かなり整備されています。ぼたん園になっていますので、身頃では賑わうのでしょう。

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ちなみにこの日はコスプレ?の撮影をしていた人がいました。

 

この時点で14時15分になりました。16時7分の美濃赤坂発の列車に乗ったら名古屋での用事に間に合わないので、養老鉄道東赤坂駅を14時52分に出る列車に乗ります。実は2kmくらいしか離れていないので十分歩けるんですよね。

 

中山道の宿場町であったころの遺跡を見ながら東に行きます。

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銀行も景観に配慮していて良い感じです。

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ちなみに、赤坂宿の東には西濃鉄道の別の路線である市橋線が通っています。レールを見れば分かるようにこちらは現在でも貨物列車が走っているようです。

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この瀟洒な建物は赤坂港です。昔は杭瀬川の河川交通の要だったので大変賑わったそうな。

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現在の杭瀬川は流路変更によって移動してしまいましたが、船着場が史跡として残っています。

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赤坂宿を抜けてからは田んぼと家が点在する地域を抜けて、無事に養老鉄道東赤坂駅に辿り着けました。

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この後は大垣駅で名古屋行きに乗り換えまして、本日の散策は終了です。」

美濃赤坂は鉄オタ的には支線として有名でしたが、廃線とか古墳とか思いのほか色々あって意外と楽しめました。また、市橋線は遮断機もない踏切の宝庫らしいので、再度訪問もアリかな~と思います。

養老鉄道と桑名城

今週は名古屋で用事がありまして、ついでに養老鉄道とその周辺をうろついてきました。

養老鉄道は揖斐から大垣、桑名までの意外と長い区間を走行しています。流石に濃尾平野の人口密度が高い地域を走ってるので乗客は意外と多かったのが印象的でした。

また、一見すると1本の路線ですが、実質的には大垣の南北で運転系統は分かれています。東武野田線の柏みたいな感じですね。

 

まずは朝7時の大垣駅です。ここで一日フリー切符を購入しまして、まずは北の揖斐方面へ行きます。

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ごらんの通り、下りはガラガラですね。

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特筆することもない田畑の中をそこそこの速さで進んでいき、24分で終点の揖斐駅に到着。

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ごく普通ですが、結構風情のある駅舎です。揖斐からの上りは高校生を中心に多くの乗客が乗ってきます。

周辺は市街地という感じではありませんが、バスなどが発着してそこそこ活気はある印象です。

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折り返しで大垣に戻り、桑名行きに乗り換えます。

 

大垣発桑名行きは最初はそこそこ高校生が乗っていましたが、ちょうど真ん中の養老駅近くになると乗客はほとんどいなくなりました。やはり大垣~桑名を通しで乗る人は少ないようです。JRの方が速くて安いのでこれは仕方ない。

 

濃尾平野の西端を走行していきます。

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このあたりは長閑の一言ですねぇ。ある意味では典型的な日本の田舎ですね。

 

桑名に近づくにつれて乗客も増えていき、大垣から一時間で到着しました。桑名駅自体は三路線が乗り入れていますが、よくある橋上駅なので写真は割愛。

 

名駅から桑名城まで散歩に行きます。

桑名城は名古屋の熱田からの「七里の渡し」があったことで有名で、城下に東海道が通っているため、浮世絵にも描かれています。

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海に面している構造が良く分かります。

縄張自体は、海に二辺が面している典型的な平城です。

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この図面では北は左で、桑名駅は下にあります。

 

名駅から徒歩10分ほどで外堀の遺構を発見。

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しょぼいですが、この位置以外では結構残っているようです。

ここから5分ほどで城跡に到着。本田忠勝が迎えてくれました。

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背後の槍は蜻蛉切ですよね・・・?真田丸での忠勝を思い出します。

 

さて、ここからは城跡に入っていくのですが・・・、正直言って遺構の残り具合はあまり良くありません。

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広大な水濠は残っているのですが、石垣が全て無くなってしまっています。

 

櫓台っぽい跡はありますが、ただの土山に変わり果てています。下の大砲は戊辰戦争当時のらしいですが、なんと詳細不明とのこと。

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本丸から二の丸方面を眺めますが、どうにも古地図と地形が一致しません。

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本丸跡は神社境内となっていますが、その裏手に天守台跡がありました。

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なんか変だなぁ・・・と思ったら、これは昭和の頃に作った模擬天守台とのこと!

なんでこんなに石垣が消えているんだ?と思ったら、明治時代に四日市市の防波堤として使われてしまったらしいですね。

 

本丸北にある三の丸との間の堀は埋め立てられてしまってますが、それっぽい窪地を発見しました。

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本丸南側の石垣跡もごらんの通りです。

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本丸をあとにして、七里の渡し方面に行きます。

こちらには蟠龍櫓が復元されています。

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なんで本丸ではなくて、城の外れにあるこの櫓?と思いますが、この櫓は七里の渡し近くにありますので、江戸時代を通じて「東海道桑名城」のシンボルともいえる櫓なのです。

無料で中に入れまして、二階からは揖斐川長良川が良く見えます。

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なんだかえらく白波が立っていますが、どうやらここまで荒れるのは滅多にないらしいですね。

櫓の近くの七里の渡し跡です。

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また、こちらは伊勢国一の鳥居です。お伊勢参りの人々がまず初めに通る鳥居でして、伊勢神宮の鳥居を使っています。式年遷宮のたびに新しいのに変わっていますので、いまあるのは平成27年に建てられたようです。

参考:

桑名市観光ガイド・七里の渡し・伊勢国一の鳥居建て替え奉祝祭(お木曳行事)

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鳥居と櫓に東海道があるこの景色がある意味では最も桑名らしいかもしれませんね。

 

また、近辺の堀にはおそらく江戸時代の石垣が残存しています。(写真では分かりにくいですが・・・。)本丸もこのくらい残っていれば、櫓がなくとも日本100名城にはなっていたかもしれません。

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ここに舟が沢山ある光景も江戸時代からそう変わってはいないでしょう。

さらに、明らかに枡形門と思われる道路もありました。おそらくは北大手門と思われます。

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桑名城はだいたい見終わったので駅に戻ります。実は一時間半くらいしか時間がなかったので、相当な早足で戻ります。

 

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↑駅前にあった昭和感濃厚な商店街。こういう場所はもうちょいじっくり見たかったのですが、時間が無い!

 

結局は何とか電車に間に合いましたので大垣駅まで戻ります。

 

つづく