転がる五円玉

新米社会人のみたままを書こうと思います。旅行・アイマスなど

鳥取砂丘と鳥取城 鳥取旅行Part3

大山と投入堂に登って体はバッキバキですが、それはそうと鳥取市観光をします。

鳥取市鳥取県の県庁所在地で人口は19万人弱。これは小田原・釧路・日立のような全国的な知名度はある小都市レベルです。

 

まずは鳥取駅でレンタサイクルを借ります。

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鳥取駅は駅の北側に県庁があるためか、北口側が発展しています。鳥取大丸以外に高いビルはないものの県の表玄関だからか整備度は高いですね。

 

レンタサイクルを借りて街へ繰り出します。まずはここ、6本の道路が交わる瓦町ロータリーです。
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最近全国的に増加しているラウンドアバウトではなく、ロータリーです(違いはググって)。ここは1958年に整備した際に誕生しました。

国交省が「ラウンドアバウトを整備しよう!」と言い始める前にこのような先進的な道路計画があったことは少し驚きです。中央の楠が年月を物語っていますね。

六差路ですが、交通量もほどほどで上手く車を捌けています。でも何故か白線が無いため初見では分かりにくいようにも思います。標識の多さがすべてを物語っていますね……。

 

千代川を渡って次へ行きます。

着いたのは小川の側にある安長土手です。
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この「土手」の歴史的意義はともかく、道の景観が素晴らしい。
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ここまで中世っぽさを残している場所もそうそう無いと思います。というのも、田舎の「昔っぽい」景観というのは殆どが江戸時代のものだからです。それに対して、ここは汚い足軽が横からヌッと出てきてもおかしくないような雰囲気があります。

小さいスポットですが、タイムスリップ気分が味わえてかなりおすすめ。駐車場などは無いので、住宅街の路上に停めるしかないのが欠点かも。

 

再び千代川に戻って鳥取砂丘に向かいます。
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鳥取砂丘まで通じている因幡自転車道を通ります。この自転車道は民家の軒先のような場所をグネグネ通っており、結構楽しい。

しかし、予想外に無茶苦茶登りました。砂丘は海沿いにあるので下りだけかと思いきや、砂が溜まった地形のせいで鳥取市側よりも50mほど標高が高いようです。

息をきらせながら到着。鳥取砂丘はレンタサイクルで行くとこじゃない。

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おおお~確かに豪快な景色です。その辺の草が青々としているので砂漠っぽさはありませんが、とにかく広々としています。
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私がいるのは砂丘の西側の人があまり行かないエリアなので、誰もいません。東の砂丘には人だかりができてました。
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鳥取砂丘はネットでもよく見る場所なので初めて見れて良かったです。
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ん~でも、ナミブ砂漠よりはしょぼいな!!

 

再び鳥取市内に戻り、次は鳥取に向かいます。

鳥取はいまでこそ田舎の小都市ですが、江戸時代は日本有数の大藩である鳥取藩35万石の城下町でした。鳥取城は鳥取市の北東にあり、山の麓に張り付く格好になっています。縄張は鹿児島城と似ている雰囲気です。

上から本丸(山の上)、天球丸、二の丸、三の丸、丸の内となっています。下の写真で水堀に面しているのは丸の内です。

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堀に架かる擬宝珠橋が復元されています。この橋は城の大手橋として機能しており、鳥取城を代表する橋だったようです。
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橋を渡ると中の御門(大手門)です。石垣の上半分が削られてしまって往時の姿は留めていません。また、大手門にしては石も小さいような気がします。
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道を登ると太鼓御門を通って鳥取西高の敷地の三の丸に着きました。太鼓御門は2023年に復元されるようで、その工事が進行しています。

鳥取城復元整備計画

https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1482709767382/activesqr/common/other/59226559005.pdf

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この辺りには幅2mほどしかない石垣があったのですが、今にも崩れそうな雰囲気です。

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この太鼓御門から眺める二の丸が凄い!石垣が幾重にも重なっており、30万石の威信を感じます。右には天球丸の丸い石垣も見えています。
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左側の階段を上り、二の丸の南側を歩きます。二の丸は往時には藩主の館があった場所で石垣もそれ相応に立派です。走櫓あたりには石垣の拡張工事の跡があります。
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御三階櫓(写真右)を回り込む形で二の丸に入ります。
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二の丸から見た御三階櫓の石垣です。。現在では展望台代わりになっています。
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櫓台に登ってみました。

実質上の天守閣なだけあって眺めは素晴らしいの一言です。仁風閣や鳥取県庁を背景に鳥取市が良く見えます。こうしてみると結構都会っぽいですね……。

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西側には右の膳丸が見えます。山上の本丸から見て右側にある右膳の丸、という意味ですね。(ちなみに右膳とはだれかは分かりませんでした。)

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二の丸の東側には先ほど下から眺めた菱櫓跡があります。確かに微妙な形をしていることがよく分かります。
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天球丸は工事で立ち入り禁止だったので菱櫓の背後にある表門からいったん下り、天球丸の下に行きます。

下の写真では左側が二の丸、右側が天球丸です。この辺りは石垣が複雑に配置されておりかなり迷いやすい構造です。
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天球丸の下に着きました。こんもりとした巻石垣は今ではすっかり鳥取城のシンボルです。鳥取藩は孕み出した石垣を解体や盛土やこうした石垣で補修していたようです。
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本来、こうした積み方は河川改修に使われるらしいのですが、石垣にも使われているあたりから試行錯誤を伺えます。

このあたりの石垣は平成に入ってから修復入りました。そのため石垣には真っ白い新石が混入しています。
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本丸にも行こうとしたのですが、比高220mもあるので断念。いくらなんでも遠すぎる。
実は鳥取城には門が一つだけ残っています。西側から二の丸に至る道の途中に中仕切り門があります。
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この門は1975年に一度台風で倒壊しているので、厳密には現存と言えないかもしれませんが、鳥取城の面影を残している遺構といえるでしょう。

この近くには仁風閣という立派な洋館があります。月曜は休館なので入れず。残念!
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鳥取城はこれで終わり。

城近くの県庁に寄ってみました。人口57万人の鳥取県ですが、県庁は流石に立派です。
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こちらは鳥取市庁舎です。
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城から大通りをひたすら南に行くと駅に着きます。こちらは駅前にある因幡の白兎ですね。
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このあとはバスで鳥取空港に行き、東京に帰りました。

鳥取は「人口が少ない」くらいしか印象が無い県でしたが、予想以上に自然文化に富んでおり実に旅行向きの県だと分かりました。山陰は殆ど行ったことないので、もう少し訪れてみようかとも思います。

 

おわり

 

最後に機内から眺めた富士山を。
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C96の反省点および今後の展望

C96お疲れ様でした。史上初の4日開催という事で待機列では色々あったようですが、サークル参加側としてはこれまでと殆ど変わらない環境で無事に頒布できました。売上的にも上々といったところです。

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早速今回のコミケについて反省していきます。

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①手抜きレイアウト

中綴じ(背表紙がある形式)では当然ながら、のりでページを貼り付けるため、背表紙側ではのりの幅だけ余白をズラす必要があります。

が、今回はその調整をしなかったので、全体的に文字が背表紙に接近しすぎました。そのため全体的に(特にP1)は読みにくくなってしまいました。次回以降は今回の本を参考に調整します。

 

②誤印刷

後半のカラーページ1枚で、トンボが表示されっぱなしのページがあります。率直に言うとこれは印刷所のミスです。もちろん返品して瑕疵が無い物を再送させる事は出来ます。ただ、今回は本文の流れに問題無い事と1年に2回しかないコミケという機会の重さを考慮して頒布を決定しました。

C97は参加しない予定なので、頒布が来年の5月になってしまいます。私の本は速報性は薄いものの、それでも9か月後は遠すぎると判断しました。

次回は返品しても間に合うくらい余裕をもって入稿したい所です。

 

③ブースの見た目がしょぼい

基本的にポスターはセブンイレブンで拡大印刷したものをセロハンテープで繋げているのですが、継ぎ目でヨレヨレになるので見栄えがよろしくありません。

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また、今回に限っていえばタイトル文字が黒いため、ポスター本来の役目である「遠くからでも何を売ってるか分かる」が十分に発揮されなかったと思われます。

次回からはポスターも専用でデザインして貼り付けたいと思います。

 

前述したように次回のC97は欠席します。次回作のための旅行へ行っているためです。その代わりとして、神保町にて開催の「おもしろ同人誌バザール」に参加します。もしかすると、薄目の新刊を出すのでほんのり楽しみにしていて下さい。

それと差し入れくれた方へ。結構嬉しかったです。どうもありがとうございました!

 

以上

2019年2月イスタンブール旅行記:大城壁と端正なモスクを周る

大城壁

ご存じの通りコンスタンティノープルの大城壁は死ぬほど長い(7kmもある)ので歩くのは流石に辛い。そのためバスを使って南の方まで一気にワープしました。

バス停降りるとこの通り。

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いいですね。最高……。テオドシウスの城壁を間近で望めます。いや~、それにしてもデカい!!遥か彼方まで巨大な塔が連なっている様子は圧巻です。

近くの門から城壁内に入ります。これはSilivri Gateで、春の門という意味です。バルコニーが優雅でいいですね。門の上にある正方形の窪みには何が嵌っていたのでしょうか?帝国の紋章とか?
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エディルネ門のあたりと違い2重の城壁が残っているので単純に門といっても何回もアーチを潜ります。

内側から見るとそれがはっきり分かります。
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外側のアーチには大理石の梁が架かっていましたが、内側はレンガが積まれているだけです。帝国が外からの見栄えを重視したことが伺えます。

 

すぐ近くにハディムイブラヒム・パシャ・モスクというモスクがあったので寄ってみました。
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あまり大きくなく、副ドームがなければ窓も少ないため地味なモスクです。四角形の上に大ドームがぽこっと乗っているためあまり洗練された雰囲気ではありません。
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内部は綺麗に整えられています。まぁ、あまり見るところはありません。

実はこのモスクもシナンの建築です。しかし、これが完成した1551年はシナンがスレイマンモスクの製作をしていた時期です。そのため、シナンの弟子が作ったのではないかと言われています。シナンはあまりにビックネームすぎたので、こういう名義貸しもあったようです。

モスクの敷地内には古代の柱頭が無造作に転がっていました。もしかしたら門にあったものかもしれません。
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こういう石が転がってるあたりから歴史の深さを感じます。

一旦城壁を離れて南東へ進みます。途中で生臭い魚市場を通りました。
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トルコも魚を食べる文化なので市場も結構大規模ですね。
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しかし冬でこの臭いなのに夏場はどうなっていることやら・・・・・・。

 

90度回転した教会(モスク)

さて、目的のモスクに着きました。コカ・ムスタファ・パシャ・モスクといい、ビザンツ時代はクレタ島の聖アンドリュー教会と呼ばれていました。

ちなみに聖アンドリューは8世紀の人物で聖像破壊運動を進めるコンスタンティノス5世によって処刑されて列聖しました。

肝心のモスクは全体が塀で囲まれており、碌に写真が撮れない!

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左手の入口から中に入ってみると、妙な違和感を感じました。普通は正面の扉から入ってまっすぐ進むと大ドームの下に出ます。しかし、ここは左方向に90度曲がらないと大ドームにいけません。

それもそのはず、このモスクは教会時代は南西が入口でしたが、今は北西が入口になっているのです。下の図を見ればよく分かります。
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教会時代は南西(下)から入って北東(上)を拝む形式でした。しかしイスタンブールからメッカは南東にあるため、モスクに改装される際にミフラーブが南東(右)の副ドームに設置されました。このため、教会時代の入口は閉鎖されて、左側に新しい入口ができました。

下の写真だとエアコンがあるあたりが教会時代の1番奥です。今では右側にミフラーブが設置されています。

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中々興味深い経緯を辿ったモスクです。もともとの構造を無視してまで改造するあたり、メッカを重視するイスラム教の特徴がよく出ています。

他の教会と違って増築が殆どなされていないため、構成は至ってシンプルです。典型的な中規模の教会堂ですね。

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柱は十字架が隠されていますが、比較的良く保存されています。柱頭も金メッキになっており高級感がありますね。

このモスクは今でも墓場や私学校、食堂を併設しており往時のモスクの雰囲気を良く留めています。内部の装飾が良く整備されているのは金回りが良いからでしょう。地元のイスラム教コミュニティの中心にあって活気がある雰囲気は大規模モスクでは中々感じられないものです。是非とも訪れてみて下さい。

 

マルマラ海へ向かって下っていくと、Sancaktar Hayrettin Mosqueに着きました。マンションの合間にあるので、非常に地味です。
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この八角形の小さいモスクはビザンツ時代はガストリア修道院と呼ばれていたようです。ビザンツ帝国末期の12世紀に建てられたと考えられています。あまりに地味すぎて歴史が良く分かっていません。

中も非常に地味です。天井のドームは地震で失われたようです。このモスクもメッカの方角と教会の向きが合っていないため、奥の副ドームではなく、右のアーチ下にミフラーブがあります。
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この後はマルマラ海沿いに歩いて大城壁の最南端へ行きます。

 

つづく

 

本日訪れた場所

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2019年2月イスタンブール旅行記:華やかなミフリマー・スルタン・モスクとエディルネ門

女性に捧げられたモスク

教会から西に少し歩くと大通りとちょっとした広場に出ました。ここはイスタンブール第六の丘の頂点で、エディルネ門があります。

その第六の丘に建っているのがミフリマー・スルタン・モスクです。1562年から1565年までにミマール・シナンによって建設されました。スレイマン・モスクよりも少し後ですね。

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このモスクはスレイマン一世の娘にして大宰相リュステム・パシャの妻であるミフリマー・スルタンに捧げられた建物です。なんでもシナンはこの皇帝の娘に密かに恋していたとかなんとか。ロマンティックですが、シナンも既婚者であったことを鑑みると……どなんですかね?

それはさておき、城壁沿いはごみごみした市街地が続いていたので、こうしたモスクがあるのは意外に感じます。
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側面に副ドームが無いのですっきりとしたシンプルな様相を呈していしています。上部のカクカクしたバットレスが非常に洗練された雰囲気です。

この建物に限らずシナンの建築は柱上部のムカルナスも近代的なシンプルさがあります。
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外部はシンプルでしたが、中に入ると大変驚きました。

明るい……!!とても明るいです。大きい窓が多く配置されており、壁というよりは殆ど窓になっています。
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この明るさはミフリマー・スルタンの性格を反映させていると考えられています。

大ドームの窓やミフラーブ裏の窓にはカラフルなステンドグラスが導入されており、華やかな雰囲気に一役買っています。
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いいですね……このモスク。スレイマンモスクのような威圧感はありませんが、洗練さと華やかさを兼ね備えており建物と光に包み込まれるような雰囲気は圧巻です。

シナンが非常に気合を入れて制作したことがなんとなく分かります。前述の恋話が生まれたのも納得の素晴らしいモスクでした。

 

征服王の入城

さて、モスクを見たら城壁の外に行きます。下の写真は内側から見た大城壁のエディルネ門です。ビザンツ帝国時代はカリシウス門と呼ばれていました。
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無理やり道路として使用しているせいで車同士がお見合いしていますが、この門は1453年にコンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世が入城したことで有名です。このあとメフメト2世はアヤソフィアに赴き、神に勝利を感謝しました。
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そのような偉大な門にも関わらず外から見ると意外にも小さいです。門の見栄えよりも防御力を重視している事が伺えます。門に行こうとすると、正面と左右の3方向から集中砲火を受ける構造になっています。これは日本の城郭にも採用されている基本的な防御構成ですね。

歴史的に非常に深いためか門周辺の城壁は綺麗に整備されています(左の旗がある塔あたりが門です)。
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う~んしかし、綺麗に整備されて公園化されるとちょっとチープな感じもしてしまいますね。

引き続き城壁沿いを南下していきます。

 

つづく

harimayatokubei.hatenablog.com

今回訪れた場所

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C96新刊情報 4日目西と-04a「転がる五円玉」

C96の新刊情報です。

「南部アフリカ縦断 ケープタウン発ヴィクトリア滝行き」

全48P(三分の一カラー)

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今回は普通の旅行記です。今年の3月に主にナミビアをレンタカーで周った様子を本にしました。訪れた観光地はナミブ砂漠エトーシャ国立公園・チョベ国立公園などです。

写真をちょっとだけお見せします。

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や~風景がダイナミックでいい所でしたよ。

旅行ジャンルなので、前回とは違う点に注意してください。委託販売は現状考えていません!ただ、なんらかの形で通販を実施したいと思います。もちろん既刊も持っていきます。

また、コミケが4日開催になり人が分散されることや、テーマが前回と違ってあんまり耳目を集める感じではないので部数は抑えめにしています。

 

以上