GW沖縄・八重山旅行その3 ~日本最西端・与那国島へ~
6時半頃に起床。今日は西表島を出て与那国島に行きます。
石垣空港を10時05分発の飛行機に乗るので、西表島を始発7時40分の便で出なければなりません。
宿の朝食は朝7時からなので急いで搔き込む!
ぐえー、なんとか食べ切った。早食いは苦手なんですよねぇ。
7時20分に宿を出て7時30分に港に到着しました。今日の天気は微妙。
7時40分発の船に乗って、石垣港へ。
8時30分に石垣港に到着して、タクシーで空港に向かいます。
石垣空港には9時に到着。10時05分発なので問題なく間に合いました。
40分ほど空港ですごしてから搭乗開始です。
与那国までは琉球エアコミューターのDHC-8-Q400CCで行きます。離島間航路らしいプロペラ機!テンションあがるぜ~。
搭乗率は7割くらいでしょうか。GWだからか結構いますね。
石垣空港を離陸してから、わずか30分で与那国空港に到着。私の人生では最も短い航路でした。石垣~与那国は100㎞ほどしか離れてないので、飛んだら即着陸という感じです。この30分も殆どは離着陸の作業でしたね。
与那国空港です。日本で最も西にある空港ですが、意外と立派で辺境感はあまりありません。
宿の方に送迎してもらい、祖納集落の高台にある宿にチェックイン。さんぺい荘という所です。
おっ、思ったより全然綺麗だ。こういう離島の宿は衛生的に厳しい所も多いのでこれはラッキー。
まだ11時なので、荷物を置いて昼食を食べに祖納集落まで歩いていきます。
・・・・・・うおお、景色の異国感がすごいな。椰子林の向こうに断崖絶壁が聳え立っており、なんだかサイパンにでも来たような感じです。
で、出た!田舎特有のアルティメット方言立て看板だ!!
上の看板は日本語訳があるのでまだ分かりやすい。ちなみに「だにんどぅ」は[daniNdo_]〈家人数〉が転訛した言葉だそうです。
実は与那国方言は琉球語や八重山語から独立した与那国語としてユネスコから認定されています。日本の文化として末永く続いて欲しいですね。
さて、そろそろ腹が減ったので昼食を探しますが…………やばい、どこも開いてない。コロナ対策か、GWだからか、その両方か。とにかく開いてません。
唯一、スブランジャヤというマレーシア料理店が開いていたのでそこにしました。与那国島でマレーシア料理ってのもなんだかなぁ、と思って食べたら……
んまい!これは、んまいぞ!!チキンとナンプラーの旨味がしっかりと米に反映されており美味い。パクチーもクドくないので食べやすい。ちょっと辛いけどマレーシア基準では普通なのでOK。
こんな所で美味いマレーシア料理を食べられるとは!これだから旅はやめられない。
昼食を食べたので、次はレンタカーを借りにいきます。
こちらは祖納集落のメインストリート。正直、思ったよりも立派な印象です。やっぱり最西端の島となると税金も入るのだろうか。
こちらの与那国ホンダにて軽自動車をレンタル。ネット予約もできるので安心でした。
さて、足を手に入れたからには……行っちゃいますか。
日本最西端へ。
祖納集落から車を10分ほど走らせると、日本最西端の駐車場である西崎灯台駐車場に着きました。
やけに立派な碑があるなぁと思ったら天皇皇后両陛下行幸啓記念碑。
どうやら上皇様が与那国島に来たのはこの三年前が初めてだったようです。上皇様が生まれた戦前は、日本の最西端は台湾だった訳で、国の領域がコロコロ変わっていた時代がわずか70余年前だと思うと不思議な感じですね。
碑の横を通って灯台の方に行くとありました。日本国最西端之地の碑です。
いや~はるばるやってきたなぁ。飛行機で石垣島に行ってまた更に飛行機……。流石に遠すぎです。東京から直行便がある台湾の方がまだ近いですね。
これで日本の最北端・最東端・最西端は制覇しました。後は最南端だけです。
西崎より眺める久部良集落。小さい集落ですが、石垣島へのフェリーが発着するので、港は立派です。
曇ってるし雨もパラついてきたので西崎を離れます。
小腹が空いたので集落の商店へ。日本最西端の商店らしい。
サーターアンダギーを購入。おや?品名が黒糖てんぷらとなってる。サーターアンダギーは琉球語で、黒糖てんぷらは和名でしょうか。
しっとりしていて美味い。でも油の塊のようなものなのでカロリーには要注意ですね。
観光地である久部良バリにやってきました。
琉球王国時代、人頭税(老若男女問わず全員に一定額課税された税金)が苛烈すぎて、妊婦を減らすために妊婦を飛ばせていた、と伝わる岩の割れ目です。
間近に立ってみると、これが中々幅が大きい。飛べなくはなさそうですが、ふざけて飛ぶ気にはならないくらいの距離。
県道を東に進み、やってきたのは祖納集落近くの墓地。通称・浦野墓地群です。
沖縄ではその昔、風葬が行われており墓地という概念はありませんでした。それが時代が経つにつれて岩窟に遺体を置くようになり、さらに近代になって沖縄特有の亀甲墓が多く作られるようになりました。
既に沖縄本島では岩窟時代の墓はほぼありませんが、亀甲墓の登場が遅かった与那国島では古い時代の墓を今でも見ることができます。
本州の墓地とちがって自然に溶け込むような不思議な雰囲気。亀甲墓の間に遺跡のような岩窟の墓もあって、かなり興味深い景色になっています。
興味深いとはいえ墓地は墓地なので車から観察するくらいが精一杯。経緯を持って観察するべし。
祖納集落から5分ほどで与那国島の東端である東崎に到着しました。
最西端の島の最東端とあってか閑散としています。
が、しかし人はいないけど馬はいる!
こちらは与那国馬。西洋種の血は一切入っていない日本在来馬の一種です。
体高さは1mくらいですかね。サラブレッドと比べるとかなり小さいです。
てっきり牧場で飼育されてると思っていたのですが、こんな草地に普通にいるとは。まぁ野良のように見えて誰かが管理してるのでしょう。
東崎灯台です。
灯台の裏手より眺める東シナ海。わーお、柵が柵になっていません。あぶない。
晴れてたら絶景だったのでしょう。残念。雨が降ってないだけ上出来な天気とも言えます。
馬を眺めながら車に戻ってドライブ続行。次は与那国島の南部に行きます。
こちらは軍艦岩という岩。
こちらは立神岩という岩。「神」と表記してはいますが、どう考えてもアレっすね……。
うーん、それにしても与那国島南部、岩しか名所が無いな!!実際、この辺りの風景は人工物が道しかなく、かなり空虚な光景が広がります。ある意味外国っぽい感じ。
次は、与那国馬の乗馬体験牧場に行きます。
今回訪れたのはNPO法人風馬さん。祖納集落の外れに立地しています。
牧場に着いてからヘルメットを着用し注意事項を聞きます。
まずは馬の真後ろには絶対に立たない、とのこと。ふむふむ、銀の匙で読んだ通りだ。あとは馬が驚くので急に大声を上げないとのこと。当然ですな。
これらの注意事項を聞いていざ乗馬開始。私たちは4人なので、往路2人・復路2人で2頭に乗ります。
私は復路に乗るのでまずは友人の乗馬を見届けます。
うわ~、与那国馬ってこうして見ると意外とちっさい。70㎏近い成人男性が乗ってるとちょっと不安定な感じもします。
ですが、いざ歩くと意外と安定しており不安感は全くありません。
浜に向かう道の途中で謎の馬がいました。どうやら農耕用とかでもなく純粋にペットとして飼ってるようす。不思議な文化だ。
20分ほど歩いて浜に到着しました。おっ、おお、砂浜なのに意外とバランスよく歩けてます。慣れてるな~って感じ。
ここで選手交代。いよいよ馬に乗ります。
うおおおっ、馬、高ェ!!!見た目より全然高いぞ!!!
しかも揺れる!!砂浜だから揺れる!!!うおひゃーー!!
と、まぁ最初はビビったものの舗装路に出ると一気に安定して冷静に乗れるようになりました。でも写真を撮る余裕は無い。ちなみに与那国馬は蹄がとても硬く蹄鉄が無くとも大丈夫らしいです。
20分ほど乗って牧場に帰還。思ったよりエキサイティングで良かったです。与那国島自体にそんなに観光地は無いので、折角だし与那国馬に乗ってみてもいいのではないでしょうか。
次に行くのはティンダバナ。祖納集落からも良く見える大きい崖です。上の写真の右端にも写っています。
県道の途中にあるやけに傾斜が強い駐車場に到着。
ただの崖、という訳ではなく、歴史的な由来もあるらしい。伝説の女傑が治めたというのも南国の島感のあるエピソードですね。
3分ほど歩くと崖の下に着きました。どうやら崖の上には行けないらしい。
ですが、ここからも祖納集落が良く見えます。
そして湧き水も湧いてました。与那国島は山や川もあるので真水には困らなさそうですが、新鮮な湧き水はやはり貴重なのでしょう。この水は新年に行われるアラミディという儀式において使用されるようです。
時刻は午後6時。朝に西表島を出てから色々と周ってきたので少々疲れました。少し早いですが夕食を食べます。
島外からの観光客は断られるか……?と思いましたが、普通に入れました。良かった。
サワガニの素揚げと刺身。うん、普通に美味い。昼飯も当たりだったし与那国島は飯が美味いですね。
夕食を食べて外に出ると、一日中曇天だった空が微かに赤らんでいます。これはもしや夕陽が見れるのでは……!?
と思ったので日本最西端の地に再び行きました。
ちょっとモヤモヤして夕陽は見れないか……。でも、晴れ間を見ることができてちょっとだけ爽やかな気持ちになれました。
日本最後の夕陽を見届けたので宿に戻ります。途中の商店で買い出し。
中々味のある店構えでいい感じ。
ちょっと湿気は多いけれど、雨にほとんど雨に降られず観光できていい一日でした。明日も与那国島を観光して、午後の便で石垣島に戻ります。
おわり