転がる五円玉 ~旅と城と山~

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吉野ケ里遺跡 ~弥生の百名城は本当に名城だった~

歴史

吉野ケ里遺跡は佐賀県にある弥生時代の遺跡である。

 縄文時代から人が定住していたようだが、本格的な集落ができたのは紀元前4世紀(弥生時代前期)以降のこと。この頃から既に環濠があったらしい。その後、弥生中期後期を時代を経るにつれて人口は増えていき、3世紀頃には人口1200人(推測)を数えるに至った。

しかし、3世紀中頃の古墳時代に入ると突如環濠が埋められ、人々は離散して集落として衰退してしまう。南の集落跡には3基の前方後円墳が築かれたように、この時代は祭祀の場としては利用されていたようである。

奈良時代は神埼郡の官衙があったようだが、これも衰退。一旦、歴史の表舞台からは姿を消した。

一躍脚光を浴びたのは1980年代の工業団地誘致以降のことである。文化財発掘のための事前調査をしたところ、二千個の甕棺墓や大規模な環濠が出土した。これは大変な発掘結果であったが、県は記録だけ残してから工業団地の造成を計画通り進めようとした。しかし、新聞報道を始めとする吉野ケ里ブームの展開によって歴史公園として保存することを決定した。

2001年に国営吉野ケ里歴史公園が開園して今に至る。

 

概要

実はこの遺跡、日本百名城の一つなんですよね。いや城じゃないだろ……と思いがちですが、城を「戦闘用に築かれた要塞型施設」と定義すると、確かにここも定義上は「城」に含まれるのです。

以下の地図の黒い線は環濠の跡です。吉野ケ里遺跡全体を長い環濠が囲んでいる他、北には二重の濠に囲まれた北内郭・中にはやや広い南内郭・南には水田なども広がる南のムラがあります。

出典:佐賀県教育委員会

下の地図から分かるように、遺跡の場所は佐賀平野に突き出る台地になっています。ただ、台地の傾斜は緩やかで城としては強固な立地ではありません。あくまで集落ありきで環濠を掘ったのでしょう。

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出典:国土地理院ウェブサイト

 

個人的には遺跡が保存された経緯が興味深く思います。工業団地の造成が始まる寸前に新聞がスクープ→保存の大合唱が巻き起こって保存決定、という流れ。

時系列を書くと

  • 1986年 考古学調査開始
  • 1988年末 遺跡発掘終了・西日本新聞が報道
  • 1989年1月25日 工業団地起工式、3月に着工開始予定とする
  • 1989年2月23日 朝日新聞が1面で吉野ケ里で「邪馬台国時代の遺跡発見」と報道
  • 1989年2月末 各社報道を開始・吉野ケ里ブームの到来
  • 1989年3月5日 文化庁と佐賀県の間で保存の合意

という具合で、いかにギリギリのタイミングだったかよく分かります。朝日新聞はなかなかに毀誉褒貶の激しい新聞社ですが、影響力と思い切りの良さはやはり一流ですねぇ。

この辺の事情は以下の資料に詳しいので是非読んでみてください。

吉野ヶ里遺跡は、こうして残った ――九人の男たちの「あの日」のドラマ――

https://www.asukanet.gr.jp/tataki/yoshinogarihanokotta.pdf

 とはいえ佐賀県の開発側担当者は大変苦労したんだろう……、と思います。業者への違約金やらなんやら大変な事になったのでは。仕事で会計をかじっているのでちょっと胸が痛い笑。

 

このようになんだかんだありましたが、国内最大の古代遺跡として君臨する吉野ケ里遺跡。

今回は4月中旬に行ってみました。

 

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吉野ケ里遺跡、デカすぎる……。

いや、正確には吉野ケ里歴史公園がデカすぎる。面積は驚愕の104万㎢。姫路城の4倍ほどの敷地面積があり、南北2㎞ほどの長さがあります。

このため、入口を間違えたら遺跡まで徒歩20分かかるなんてことも。遺跡目的なら東口に行くのがベター。

家から1時間ほど運転して東口に到着。なんと駐車料金310円に別に入場料460円も取られました。入場料はともかく佐賀みたいな田舎で駐車料金を取られるとは……。

 

下の写真は東口のエントランスです。流石は国営公園。佐賀には似つかわしくないほど立派で豪華です。
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橋も無駄に広い。小学校のような団体が遠足で来るからですかね。

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早速この橋の上からは復元された高楼が見えています。一番大きいのは北内廓の主祭殿らしい。弥生感がすごい。ワクワクしてきたぞ~。

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遺跡の入口に到着。鳥居の左右には木柵がずらりと並んでおり要塞然としています。

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この木柵は内側から見るとこんな感じ。

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普通の城は堀の内側に塀があるのですが、吉野ケ里遺跡は何故か逆です。うーむ何故だろう。

なお、これらの木柵と堀と逆茂木は全て発掘結果を元に精密に復元しているそうです。もっとも、木柵の高さなどは想像のよう。

 

ちょっと歩いて南のムラに到着。ここは内堀に囲まれていないエリアなので解放感があります。

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ここでは幾つかの家族が生活していたらしい。この場合は「家族」は現代の家族ではなく、10人~くらいの集団だったのかな?

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復元されたムラ長一家の竪穴式住居と高床式倉庫。それにしても竪穴式住居って柱がなくなった茅葺住宅そのまんまですね。

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中はこんな感じ。思いのほか明るいし骨組みも太く頑丈です。でも九州の台風を耐えることはできたのだろうか……?

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この南のムラのすぐ近くには水田が段々に復元されています。

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意外と知られていない事ですが、今のような平地の水田が一般化したのは室町末期以降で、それまでは灌漑のしやすい傾斜のある土地の水田が一般的でした。そういう意味で吉野ケ里は緩い傾斜地が広がっており水田に適していたのでしょう。

 

南のムラから見た西外郭線です。堀と木柵が延々続いている様は圧巻。

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南のムラの次は南内郭近くの遺跡展示室に行ってみました。

ここで興味深かったのが時代ごとの環濠の変遷について。弥生時代の初期・中期にも環濠はあったものの、後期(いま復元されている部分)とは全く違う構成であることがわかります。

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まぁ、一口に弥生時代と行っても1000年以上あるので当然っちゃ当然です。

 北内郭から出土した装飾品とその想像図。碧いガラス棒を組み合わせており、今の価値観でも美しい一品です。

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展示室はサラッと見ていよいよ南内郭に行きます。

まずは入口付近の展望台から全景を撮影。大きさは南北100m東西50mほどで結構広い。

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内部には大人(支配者層)の家や王の家があります。

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内側から見た堀はこんな感じ。やっぱり外側に土塁がありますねぇ。普通の城は内側に土塁があるものですが、土塁の上から攻撃されないか?謎です。

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復元された会議場。入口は低いのに屋根はやたらに立派です。

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敷地内の端には小さめの堀で囲まれた王の家があります。この堀は防御用というよりは区画を示すものでしょう。

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この南内郭に門は一か所しかありませんが、今は見学用として出入口が作られています。「本来は無かった入口」と明記してあるので分かりやすい。

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次に行くのは北内郭。南内郭と違って祭祀的な建物が多い場所です。更に北には墳丘墓もあるのでそこまで行ってみます。

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南内郭と北内郭の間にある中のムラの光景。こうして見るとごく普通の農村風景っぽいなぁ。

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さあやってきました北内郭。木柵が加工されており、木塀と呼んで差し支えない規模になっています。

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門です。南内郭よりあからさまに狭い。

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この北内郭は二重の堀で囲まれています。ただし、本丸と二の丸という構成ではなく、あくまで堀を二重にしたという事なのでしょう。現に堀と堀の間に建築物はありません。

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内堀の門。うおーこれはすごい。木柵でとはいえ虎口を形成しています。

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この木柵も発掘調査を元にしているらしい。凄いぞ吉野ケ里遺跡。俄然盛り上がってきました。

 

北内郭は直径50mほどの円形なので南内郭よりはかなり狭いと感じます。

その中に鎮座しているのが主祭殿。3階建で規模感は城の天守閣にも引けを取りません。

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2階にはクニの方針を決める会議の様子が再現されています。

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そして3階にいるのが神のお告げを聞く最高司祭。神のお告げが得られたら脇の従者が2階にいる政治家に伝えていたようです。

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2階から見える環濠です。ここはこれまで見てきた中で最も土塁が高い。

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また、濠が真っすぐではなく横矢を掛けるように折れ曲がっている事も分かります。特に張り出し部に高楼がある点は極めて実戦的と言えます。

 

北内郭は主に祭祀の場だったので世俗的な住宅はほぼありません。例外として、下の写真のような最高司祭用の住居があったようです。

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最高司祭は人前に滅多に姿を見せず、建物の奥で暮らしていた模様。

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狭いし暗い。ショッピングモールによくあるマッサージ店にしか見えない……。

 

こちらは北内郭の北門です。道に対して横矢を掛けるように塀が設置してありここも実戦的です。

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北内郭は南内郭と違って実戦的な仕組みが多々あります。もしかすると有事はここに立て籠もったのかも?

 

さて、最後に一番北にある北墳丘墓に行ってみます。

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墳丘墓の南も墓地だったらしく甕型棺がゴロゴロしてます。これらも発掘状況をそのまま反映しているそうな。

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北墳丘墓です。入口が近代的なせいで妙な雰囲気。まるで掩体壕です。

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中はトイレか何かか?と思って入ってみるとびっくり。

ピカピカの展示室になっていました。

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当初は発掘現場を保護のために埋めようとしたものの、本物の迫力を伝えたいという思いから本物をそのまま展示する「墳丘墓形展示室」にしたらしい。

ちなみに、古墳と違って墳丘墓には複数人が埋葬されています。

 

来る途中に見た墓地(左)よりも墳丘墓(右)の方が埋葬されている人数が少ない。このことから、墳丘墓の方が格の高い墓地だったのではと推測されています。

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北墳丘墓の歴史。

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ふむふむ……

えっ、戦国時代は山城として利用されていた!?

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マジすか。古墳を城に転用する例はありますが、ここも城になっていたんですね。ただ、立地的には砦というか物見台レベルだった可能性もあります。

 

これで吉野ケ里遺跡の見学は終了。入口まで歩いて帰ろうとしたのですが、4月にしては暑かったので園内バスで帰りました。文明を感じる……。

 

感想

やっぱり国立公園は凄いですねぇ。建築物はバンバン再建されるわ、木柵は何kmにも渡って復元されているわでビジュアル的には圧巻です。

城としては北内郭が最も見ごたえがありますね。門の虎口や濠の横矢掛かりは必見です。まさに「城」っぽい。

ちなみに吉野ケ里遺跡には年間パスポートもあります。こんな所で年パスとかどうすんだよwwwと思っていましたが、遺跡の外側にはアスレチックエリアやキャンプエリアがあるようでこの日も沢山の家族連れが来ていました。

ここなら彼女を連れてきても文句は言われないでしょう。まぁ彼女いないんですけどね~アハハ。

 

おわり