2019年ローマ旅行:コロッセオへ向かう ~サンタ・マリア・マッジョーレ教会とトラヤヌス浴場~
いつものように20時就寝5時起床で目が覚めました。体調は万全。昨日はバチカン方面に行ったので、今日はコロッセオ方面に行きます。
宿のエレベーターが開く・閉じるボタンが無く、しかも全てのボタンが光っていて何階を押したか分からない謎仕様でした。
しかもはちゃめちゃに揺れて怖い!こういう所がイタリアだな……。
テルミニ駅から南西に歩くこと5分、エスクイリーノ広場に着きました。ここにはシンプルなオベリスクが立っています。
このエスクイリーノのオベリスクはエジプト産の石材でローマ人が作ったレプリカです。その証拠に天辺のピラミッド状の部分(ピラミディオン)が平らになっています。エジプト人にとってピラミディオンは重要でしたが、ローマ人には理解できなかったんですね。
オベリスクから3分ほど歩くとサンタ・マリア・マッジョーレ教会という大きな教会に着きます。ローマの四大聖堂の一角である堂々たる大聖堂です。サンピエトロ大聖堂も四大聖堂の一角です。
435年完成。エフェソス公会議でマリアが「神の母」として認定されたことを記念して、シクストゥス3世によって建てられました。
ローマの四大聖堂はいずれも建築当初の建物を取り壊して後世に造られたものです。一方、このサンタ・マリア・マッジョーレ教会だけは、内部の基本構造は5世紀のものを維持しています。
という訳で中に入りましょう。ちなみに無料です。
いや~見事なバシリカですね。直線で構成された建物からは古代の力強さを感じます。とても荘厳な雰囲気。流石は四大聖堂です。サンピエトロ大聖堂のような壮大さはありませんが、かえって落ち着いている感じがします。
ちなみに左右に並ぶイオニア式の柱は古代ローマのものを転用しています。
壁に描かれたモザイク画は創建当初のものです。
奥の天蓋の下には聖遺物である「イエスが生まれた馬小屋のかいば桶の木片」があるそうです。へぇ……。
左右の側廊にはサンピエトロ大聖堂のような彫像がいくつもあります。これは適当に取ったので誰のだかは分かりません。
本当は二階に行けるようなのですが、なぜか行けなかったので外に戻ります。
この教会は入口はバロック様式となっています。4つある三角形の破風がいずれも下の部分が切れています。これはブロークン・ペディメントと言い、バロックの特徴です。
鐘楼は14世紀のゴシック建築のものです。バロック建築のファザードと違い、重厚なデザインになっています。
このサンタ・マリア・マッジョーレ教会はかなりオススメです。駅から至近距離でアクセスも良いし、中の荘厳な空間は一見の価値ありです。四大聖堂の一角を是非とも見て下さい。
教会から南西に進むと木が生えて広々とした公園に出ました。オッピオの丘と呼ばれるあたりです。地元民や移民がバスケなどをして遊んでいるのんびりとした場所です。
イスタンブールでもそうであったように、ローマの丘にも巨大な建築物がありました。このオッピオの丘にはトラヤヌス浴場があったようです。
(GoogleEarthより)
こちらは図書館跡
こちらも図書館跡です。うーんやはり壁が分厚い!
下の地図を見ると公園とトラヤヌス浴場の位置関係が分かりやすいです。
現在残っているのは2・5・7のアーチですね。
出典: https://www.portofrome.it/the-remains-of-the-baths-of-trajan/?lang=en
こういう遺跡が公園の中にボンボンとあるのが非常にローマっぽいです。しかも、この遺跡も大きい!背後の三階建てアパートよりも大きいのが凄い。
さて、このオッピオの丘には有名な皇帝の有名な宮殿があったと言われています。
看板の意味は「ドムス・アウレア(黄金宮殿)の大通り」
そう!ここには皇帝ネロの黄金宮殿があったのです。古代ローマでは古い建物を土台にして新しい建物を作ることが多いので、ネロの黄金宮殿もトラヤヌス浴場の下で残っていた訳です。
こちらが現在の黄金宮殿の入口です。柵があるので、建物の上が地面になっていることが分かります。
ちなみにこの黄金宮殿の見学はツアーのみ!残念ながら時間がないので今回はスルーです。ローマに次来るときは必ず行きます。
さて、黄金宮殿のある丘から下を眺めると、ついに見えてきました。
コロッセオです。問答無用にデカい。とてつもない存在感を放っています。
丘を下ってコロッセオの真下まで行ってみます。あのコロッセオを前にして流石に興奮してきたな!??
つづく