2019年2月イスタンブール旅行記:大城壁と端正なモスクを周る
大城壁
ご存じの通りコンスタンティノープルの大城壁は死ぬほど長い(7kmもある)ので歩くのは流石に辛い。そのためバスを使って南の方まで一気にワープしました。
バス停降りるとこの通り。
いいですね。最高……。テオドシウスの城壁を間近で望めます。いや~、それにしてもデカい!!遥か彼方まで巨大な塔が連なっている様子は圧巻です。
近くの門から城壁内に入ります。これはSilivri Gateで、春の門という意味です。バルコニーが優雅でいいですね。門の上にある正方形の窪みには何が嵌っていたのでしょうか?帝国の紋章とか?
エディルネ門のあたりと違い2重の城壁が残っているので単純に門といっても何回もアーチを潜ります。
内側から見るとそれがはっきり分かります。
外側のアーチには大理石の梁が架かっていましたが、内側はレンガが積まれているだけです。帝国が外の見栄えを重視したことが伺えます。
すぐ近くにハディムイブラヒム・パシャ・モスクというモスクがあったので寄ってみました。
あまり大きくなく、副ドームがなければ窓も少ないため地味なモスクです。四角形の上に大ドームがぽこっと乗っているためあまり洗練された雰囲気ではありません。
内部は綺麗に整えられています。まぁ、あまり見るところはありません。
実はこのモスクもシナンの建築ですが、これが完成した1551年はシナンがスレイマンモスクの製作をしていた時期です。シナンはあまりにビックネームすぎたので、こういう名義貸しもあったようです。設計をしたのはシナンの弟子だとか。
モスクの敷地内には古代の柱頭が無造作に転がっていました。もしかしたら門にあったものかもしれません。
こういう石が転がってるあたりから歴史の深さを感じます。
一旦城壁を離れて南東へ進みます。途中で生臭い魚市場を通りました。
トルコも魚を食べる文化なので市場も結構大規模ですね。
しかし冬でこの臭いなのに夏場はどうなっていることやら・・・・・・。
90度回転した教会(モスク)
さて、目的のモスクに着きました。コカ・ムスタファ・パシャ・モスクといい、ビザンツ時代はクレタ島の聖アンドリュー教会と呼ばれていました。
ちなみに聖アンドリューは8世紀の人物で聖像破壊運動を進めるコンスタンティノス5世によって処刑されて列聖しました。
肝心のモスクは全体が塀で囲まれており、碌に写真が撮れない!
左手の入口から中に入ってみると、妙な違和感を感じました。普通は正面の扉から入ってまっすぐ進むと大ドームの下に出ます。しかし、ここは左方向に90度曲がらないと大ドームにいけません。
それもそのはず、このモスクは教会時代は南西が入口でしたが、今は北西が入口になっているのです。下の図を見ればよく分かります。
教会時代は南西(下)から入って北東(上)を拝む形式でした。しかしイスタンブールからメッカは南東にあるため、モスクに改装される際にミフラーブが南東(右)の副ドームに設置されました。このため、教会時代の入口は閉鎖されて、左側に新しい入口ができました。
下の写真だとエアコンがあるあたりが教会時代の1番奥です。今では右側にミフラーブが設置されています。
中々興味深い経緯を辿ったモスクです。もともとの構造を無視してまで改造するあたり、メッカを重視するイスラム教の特徴がよく出ています。
他の教会と違って増築が殆どなされていないため、構成は至ってシンプルです。典型的な中規模の教会堂ですね。
柱は十字架が隠されていますが、比較的良く保存されています。柱頭も金メッキになっており高級感がありますね。
このモスクは今でも墓場や私学校、食堂を併設しており往時のモスクの雰囲気を良く留めています。内部の装飾が良く整備されているのは金回りが良いからでしょう。地元のイスラム教コミュニティの中心にあって活気がある雰囲気は大規模モスクでは中々感じられないものです。是非とも訪れてみて下さい。
マルマラ海へ向かって下っていくと、Sancaktar Hayrettin Mosqueに着きました。マンションの合間にあるので、非常に地味です。
この八角形の小さいモスクはビザンツ時代はガストリア修道院と呼ばれていたようです。ビザンツ帝国末期の12世紀に建てられたと考えられています。あまりに地味すぎて歴史が良く分かっていません。
中も非常に地味です。天井のドームは地震で失われたようです。このモスクもメッカの方角と教会の向きが合っていないため、奥の副ドームではなく、右のアーチ下にミフラーブがあります。
この後はマルマラ海沿いに歩いて大城壁の最南端へ行きます。
つづく
harimayatokubei.hatenablog.com
今回訪れたところ