転がる五円玉 ~旅と城と山~

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3月の天城山 ~春霞とともに~

2020年3月、世は正にコロナ真っ盛り!でしたが、「山は密じゃないし別に良いでしょ……」の精神で伊豆は天城山に行ってきました。

天城越えで有名なこの山も日本百名山の一つです。最高地点は万三郎岳(1405m)。標高が低いことも相まって夏場は大変暑そうなので春に行くことにしました。

 

茨城を出て4時間後、天城高原ゴルフコース駐車場に到着。

いや~伊豆って意外と遠いですね。小田原で西湘バイパスを降りてからひたすら一般道を走るため、想像より時間がかかりました。f:id:harimayatokubei:20210101135018j:plain

ここの駐車場はその名の通りゴルフ場の駐車場です。その一角にハイカー専用の区画があるのでそこに停めます。f:id:harimayatokubei:20210101135022j:plain

登山口の標高は1050mで、万三郎岳は1405mです。たった350mほど登ればいい計算なので、ゆるゆる登っていきましょう。9時40分出発。

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陽が差しこむ軽い雰囲気の森です。

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軽い渡渉はありますが、全く問題ありません。

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山はまだまだ冬ですが、空気感は完全に春のそれです。長袖では暑いくらい。

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10時20分、万二郎岳(1300m)に到着しました。

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えっ、思ったより近い。コースタイム75分ですが40分で着いてしまいました。

この万二郎岳は八丁池から始まる天城山脈の東の端です。このため西を見ると万三郎岳を始めとする稜線がよく分かります。

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南を見ると太平洋も見えます。やはり海が見える山は特別感があって良い。ただ、春霞で全体的にうすぼんやりしていますね。

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ちなみに北には駐車場があるゴルフ場が丸見えです。

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さて、万三郎岳に向けて出発。ここからは縦走なので一旦下ります。

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この山は森が素晴らしいですねぇ。下草があまり無いため終始明るいのです。展望は無いけれど圧迫感は無い歩いていて楽しい森です。

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10時50分に石楠立(はなだて)に到着。ここから最後の登りです。

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標高1300mを超えたあたりから岩陰に雪が居座りはじめました。冬の天城山はアイゼンが必要のようなので機会があったら行ってみたいですね。

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11時13分に万三郎岳に到着。お疲れさまでした。

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山頂はあまり広くなくベンチが一脚あるのみです。10人もいれば満員になりそうなくらいですね。

一等三角点に座って飯を食べている人がいましたが、流石にやめた方がいいのでは……。

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昼食にも早いし展望は無いし疲れてもいないのでさっさと下山します。

万三郎岳からは稜線を外れて200mくらい下ってから、等高線に沿ってダラダラ移動します。

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この稜線がま~~~~~~~~長いこと長いこと。稜線はまだ森が良かったんですが、この辺は針葉樹と広葉樹の混合林なので地味なんです。しかもアップダウンが無いのでひたすら長く感じます。

 

12時45分、駐車場に帰還。ふぅ……1時間30分、中々忍耐力が必要な下山でした。あういう地味な道を楽しむ余裕はまだ私には無いですね。

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駐車場はほぼ満車状態になっています。まぁ、いよいよ春本番という陽気ですしそりゃそうか。コロナが無かったら朝9時には満車になってそうです。

 

天城山は百名山にしては地味、とにかく地味な山です。標高も1405mと下から3番目ですし、筑波山・開門岳のような大展望もありません。

ですが、里山感のある明るい森はとても落ち着く雰囲気で、派手さは無いけれど普通に良い山でした。ただ、まぁ……百名山っぽさは無かったですね~。うん。

 

おわり

岡城 ~日本最強の城~

くじゅう連山に登った日は竹田市に泊ったので、翌日の朝に岡城に行ってきました。

結論から言うと、かなり凄い城で、正直度肝を抜かされました。

何が凄いかというとその堅固さ。岡城は東西に細長い尾根線に築かれた城です。下の地図からは三方向を川で囲まれている見るからに堅そうな立地であることがよく分かります。

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しかも東西南北にある崖が信じられないほど急なのです。傾斜45°を遥かに超えて70°くらいはあるかという崖が城をぐるりと取り囲んでいます。この城をまともに攻める方法はあるのか!?と真面目に考えてしまうほど凄い地形をしています。

実際に、薩摩より攻めてきた島津軍を1000人の兵士で撃退に成功した記録も残ります。あの島津を破るとはどれほど凄いことか!歴史をちょっと知っていたら分かるはず。

しかも石垣も凄いのです。目もくらむような高さの崖にこれまたとんでもない高さの石垣が積みあがっている光景は唯一無二と言っていいと思います。また、本丸もさることながら、大手門や下原門の石垣の精緻さはそこらの中級大名の城を遥かに凌駕する規模感です。

 

日本には山城が数多くあれど、岡城はまさにキングオブ山城と呼んでも過言ではないとんでもない城でした。いや本当に凄い。大分の片田舎の城だと思ってちょっとナメていたんですが……大変失礼しました。

 

下の図は城内に設置してあった案内板です。

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地形図と照らし合わせて分かるように、岡城は西から、「西の丸御殿・家老屋敷」「三の丸・二の丸・本丸」「御廟」と3つの区画で構成されています。

今回は、西にある大手門から本丸を通って一番東の下原門に向かい、また戻るように歩きました。

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出典:岡城HP https://okajou.jp/appeal/map/#point05

 

竹田の城下町から車で5分も走ると岡城の駐車場がある総役所跡に着きます。随所に「岡城址」の看板があるので迷うことはないでしょう。

駐車場は結構広くて100台は余裕で駐車できそうな感じ。

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案内所の裏手には高い岩盤と石垣が立ち上っており既に堅固な様相を呈しています。これは期待が高まる。

案内所で300円払って入城します。

まずは右手から伸びる道を歩いて大手門へ。いや~早速すごい高さの岩盤が立ちふさがります。まとも登ることは不可能でしょう。

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ここの道端には丸い形状をした石が置かれています。沖縄の城を思い起こさせるこれはかまぼこ石といい、岡城独特のものです。

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3分ほど歩いて大手門の真下に着きました。

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ここは左手の岩盤もさることながら、右手の崖も相当に急です。よくこんな所に道を、しかも大手門への道を通したものです。

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さーて、登りますか。

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ゼェハァ……やはり見た目通り急ですね。

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大手門に到着。石垣の上が西洋の城みたいに凸凹していますね。なんででしょうか。

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大手門の近くには古大手門があります。古と言ってもどれくらい古いかは不明。

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古大手門の向こうには土の曲輪が残されていました。

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大手門を通ると西の丸に到着します。この辺りは藩主や家老の屋敷があった場所だからか石垣も低いですね。

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中川但馬の屋敷に続く階段です。螺旋を描いておりなんだか西洋っぽい感じ。

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戦闘を意識していない石垣だからか積み方が乱雑な印象です。

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さて、家老屋敷の横を歩ていくといよいよ本丸が見えてきました。遠くから見ると軍艦のようです。

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右側は非常に高い崖となっています。復元図だと下の雑木林付近に武家屋敷があったたようですが……にわかには信じがたい落差です。

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本丸部への入口となる西中仕切り門に到着。

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門の左から見下ろすと、写真でよく見る三の丸の高石垣を見れます。これも恐ろしい高さ。落ちたらまず間違いなく死にます。

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これは現地に行かないと分からない感覚ですが、左右が断崖絶壁なので中央に門があるため城の立地としては本当に理想的であると痛感します。

 

西中り切り門を抜けると三の丸の入口である太鼓櫓門が見えてきました。

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内側から撮影。流石に城の中心部なので精緻な切り込みハギの石垣になっています。

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三の丸は小さめのグラウンドくらいの広さはあり思ったよりも広いですね。右奥が本丸の石垣です。

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本丸の石垣は熊本城を彷彿とさせる見事な反りを見せています。ただ、全体的には谷積み(江戸時代後期の積み方)です。謎ですね……。

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二の丸は三の丸ほど広くはありません。右にあるのが本丸への階段です。

 

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階段を登っていよいよ本丸に到着。本丸は三の丸の半分くらいの広さです。

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南西隅には御三階櫓の跡があります。内側からだと石垣は低い。

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ここから南を眺めるとご覧の通り。一連に連なる崖は圧巻の一言です。

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ちなみに南東隅には御金蔵跡があります。

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御金蔵跡から東を眺めると、東仕切り門が見えます。相変わらず左右は断崖絶壁となっています。

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二の丸方面を眺めるとくじゅう連山が大変よく見えます。昨日と同じくちょっと霞んでいるのが残念。

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本丸自体にはさほど見る場所が無いので二の丸に移動しました。

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滝廉太郎の銅像です。有名な荒城の月はこの岡城がモデルらしい。

 

で、その銅像の裏手からは三の丸の高石垣と遠くの家老屋敷が見えています。やはり谷から立ち上る石垣が凄い。どうやって建設したのか見当もつきません。

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ちなみに、この二の丸には御風呂屋という建物が復元されています。本丸に直接登れるようになっている不思議な構造です。名前からしても戦闘用ではなく接待用の建物でしょう。

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三の丸を通って本丸の下まで来ました。御三階櫓の石垣を下から見上げます。

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本丸の南側にある車1台分くらいの道を通って東中仕切り門にやってきました。ここから先は御廟などがあった東の区画です。

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なんだか本丸周辺と比べて穏やかな感じ。春は桜が綺麗なんだろうなぁ。

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御廟の北にある清水門です。見ての通り門の先は濃いヤブに覆われていて先に行くことはできません。往時は稲葉川まで降りる道があったようです。

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三楽亭の入口跡です。小さいながらも枡形虎口を模しているようですね。

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この辺りは三の丸よりも広々としているかもしれません。往時は色々な屋敷があったのでしょう。

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御廟を通り過ぎてからも左に石垣、右に崖のまま道は続いています。

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本丸から300mほど歩いて遂に東の入口である下原門(しもばるもん)に到着しました。

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いやぁ……石垣がとにかく立派ですね……。

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岡城の藩主中川家は7万石の中堅大名ですが、岡城の石垣の立派さは20万石~30万石の大大名家に匹敵していると思います。

 

これは石材が豊富にあるからだと思われます。岡城周辺は阿蘇山凝灰岩が広く分布しており(大手門で見た岩盤も凝灰岩)、城のすぐ下の川にも石切り場が現存しています。江戸城の建設にあたって小豆島から石を運んだことを考えると、徒歩10分の所で石が採れるというのは大変贅沢な環境です。

 

下原門の向こうにも屋敷はあったようですが、今は雑木林と化しています。

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ちなみに、中川家が来る前の志賀氏時代(島津を撃退した頃)はこちらが大手門で、ここを下った先に城下町がありました。その城下町も今では寺が一軒あるのみです。

 

東の端にある下原門を見たので東仕切り門まで引き返してきました。

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ここからは本丸の石垣を積みなおした跡がよく分かります。

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本丸の下の道を通って家老屋敷へ。

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石垣が段々になっている辺りが家老屋敷です。石垣が複雑そうでワクワクが止まらない。

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三の丸を通って中川但馬屋敷跡まで戻ってきました。

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この周辺は低い石垣が複雑に配置されており城というよりは城下町の様相を呈しています。

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但馬屋敷の入口にはこんな立派な階段です。ここも城っぽくない感じ。

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さて、藩主の屋敷があった西の丸に向かいます。

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西の丸に到着。いや~、広い!とにかく広い!!山上とは思えないほどの広さです。

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しかも眺めも良い!!

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祖母山、阿蘇山、くじゅう連山が一望できます。殿様級の眺めの良さは一見の価値ありますね~。

 

西の丸のさらに西にある角櫓跡までやってきました。

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ここから西の丸を振り返るとこんな感じ。右も左も断崖になっています。

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西の丸の北にある家老屋敷に向かいます。

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中川民部屋敷跡です。西の丸ほどではないけれどかなりの広さ。

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左奥に見えるのが近戸門です。

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この辺は石垣の石材が大変小さいのですよね。写真だと伝わりにくいのですが、15㎝くらいの大きさの石が積まれています。これはこれで趣があって良い。

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左が普請方です。紅葉が実に綺麗。

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この辺は屋敷や建物が立ち並んでいたせいか、石垣も複雑に絡み合っています。

ここなんかは上の階段を通ると覚左衛門屋敷への階段に行き、門を通ると普請方に行けます。説明すると訳分からんwwww

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さて、いよいよ岡城の最も北にある覚左衛門屋敷に着きました。流石に石垣も立派です。よくよく見ると石垣を増築した跡もあります。

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ここは当時の礎石だけではなく床まで復元されています。

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おおっ、これは金場取り残し積みでは!?金沢城でしか見たことはありませんでした。まぁ石垣というほど高くは無いですがね。庭木か何かを植えていたのでしょう。

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屋敷の奥には櫓台がありますが、角が丸くなっているし、しかも上が2段になっています。ちょっと不思議な感じ。

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櫓台からは屋敷が一望でき、奥にはうっすらと本丸も見えています。

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さて、ではそろそろ城を降ります。帰りは大手門からではなく近戸門から七曲りと呼ばれた道を通ります。

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うおっ、これはすごい!写真でも分かるほどの急斜面です。

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ちなみにこの七曲りの途中で覚左衛門屋敷の西にある堀を見ることができます。基本的に石垣で圧倒する岡城では珍しい場所です。

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七曲りの途中にもかまぼこ石が置いてありました。こういう配慮も石材が豊富にあるからできたのでしょう。

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転がるように七曲りを下り終えました。

いやしかし、下から見上げるととんでもない傾斜であることがよく分かります。最早崖です。

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この後は紅葉が綺麗な道を淡々と歩いて、、、

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駐車場に帰還!お疲れ様でした!

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なんだかんだ1時間半くらいは周っていたようです。満足満足。


ちなみにこの後は竹田の城下町にある武家屋敷跡に行ったのですが……

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見ての通り微妙な寂れ具合です。まぁこれはこれで落ち着いた雰囲気で良いのですが、駐車場くらいは欲しかったですねぇ。

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という訳で岡城でした。冒頭にも書いた通り、類を見ない崖と圧倒的な石垣に囲まれた名城です。城好きならまず間違いなく満足できるでしょう。

 

おわり